目次
◉《状態 No. 3》(2022)
欧文タイトル:State No. 3
編成:for any number of performers
ひとつの状態持続に焦点を当てて、状態そのものを鑑賞・観察する作品群の1曲です。これまでワードスコアによってNo. 1「パチンコの実機をプレイする」、No. 2「任意の既成楽曲を騒音とともに演奏する」をそれぞれ舞台上で実践してきました。No. 3は「任意の既成楽曲を複数同時に演奏する」というひとつの状態を実践します。
特定の作品の引用ではなく、どの作品をどれだけ重ねるかは演奏毎に決められるため、重ね方には無限のパターンがあります。ここでは何かが「重なっていること」そのものの体感を目的としています。都市やメディアをはじめ、現代の日常空間でたくさん遭遇する、複数の自律したBGMなど人が作った音楽(特にピッチ感、リズム感において中心への求心力をくっきり有したもの)同士が無作為に重なる環境や刺激、消費形態について。ホールという集中可能な空間にひとつの状態を持ち込み、機会ごとに不確定な重なりを直に観ます。
◉《キッチュマンダラかわいい》(2021)
欧文タイトル:kitsch mandala kawaii
編成:for piccolo, clarinet, marimba, violin and cello
三和音・音階・調性メロディといった西洋音楽由来の音素材を、本来の機能や構造から剥がし、資本主義社会で氾濫するように表層的・匿名的に扱い並べた作品。アンサンブルは一点で支配的に合わせることをせず、五人がそれぞれのグルーヴ感でお互い自律して同時進行し、不確定にずれたまま重なり絡み合っていきます。大量消費や物質世界をモチーフとした小曼荼羅をイメージしていて、部分が全体であり全体が部分であるように円環的です。
◉《キュイーン、キュワーン》(2023)
欧文タイトル:Quieeen, Quwaaan
編成:for violin, percussion and keyboard
ゲームに定型的に登場する魔法のエフェクトを塗り重ねていくイメージでつくられた室内楽作品。身体と器楽、TVゲーム黎明期のチップチューン、SE(効果音)とその間を行き来します。私が幼少時から親しみ大好きだったゲームのモニター内世界と、物理的な世界との境界について。曼荼羅状に複数のグルーヴを重ねながらその接続部分を探そうとしました。
◉《アーケード》(2020)
欧文タイトル:Arcade
編成:for orchestra
題名は「ゲームセンター(和製英語)」のことを指します。本作はゲーセンやパチンコホールなど日本のアミューズメント施設における空間の状態をモデルに、質感を持続させ提示する管弦楽曲です。
BGMがひしめき合う轟音環境。総体としては耳を閉じられがちで、或いは音として避けられ、よく聞かれない空間。より強く、より大きな音で。より人々を魅きつけることが求められる個体がそこにはぎゅっと集合していて、音を一つ一つ丁寧に聴くことは難しい。でも不思議と共存している空間。楽曲中には、近代以降世界中に広く普及した平均律、三和音、グルーヴ、効果音などの音楽言語を記号として使用しました。それらを音のかたまりと音のかたまり、異なる声に対して配慮せずにランダムに重ね、偶然重なったその重なり方を聴いて細部を少しずつ捉えます。
◉《学校と制服》(2019)
欧文タイトル:school and uniform
編成:for mixed chorus
学校と制服は、上から統率された動きを前にしたときの感嘆、欲望、畏怖、暴力性、憧れ、抑圧などが入り混じった私の中の混沌とした感覚の質の片鱗を、コンサートホールで行う混声合唱曲の形にした音楽です。
◉《アミューズメント》(2018)
欧文タイトル:Amusement
編成:for saxophone, tuba, percussion, piano and electronics
長い持続音に身を浸すと、音の内側に入り込んでいくように感じることがあります。この作品は、一聴してひとつの持続音ではないけれど、短いモチーフが毎回ランダムに飛び交い一定の質感が持続するという意味で、ドローン音楽の性格を持ちます。音の内側に身を置いてその空間を観察する行為。物理世界ではパチンコホールやゲームセンターなどのアミューズメント空間をモデルにしました。音響の描写ではなく、記号を多用して質感の転写を試みます。誰も指揮者の立場にならず、奏者間で聴き合い・または聴き合わずにつくり上げていき、結果として演奏の度に音符レベルでのディティールが変化します。
◉《カワイイ^_−☆》(2019-)
欧文タイトル:Kawaii 😉
編成:for variable instruments 2019
《カワイイ^_-☆》は、任意の時間演奏できるワードスコア作品です。
編成に合わせて不確定な五線記譜による楽譜を用意した版は、a, b, c…とナンバリングしています。
「カワイイと主観的に感じる音を出す」。人の感覚は人の数だけ異なり、弾き手・聴き手がどう感じるか、その時の体調、気分、空間など多くの要因が影響し微細に移ろいます。この作品ではそのような感覚を原理として、奏者同士或いは聴き手との音のコミュニケーションを通して多様な他者の感覚に触れ、共感したりしなかったり、想像したり、寄り添ったりして意識を向けることを意図しています。
カワイイは、日本由来の単語で成熟を拒否したような特徴もあり、特に完成された立派さや崇高さに価値を見出してきた西洋クラシック音楽では充分な市民権を得ていない価値観です。それについて、主張し相手を説き伏せるのではないやり方で、聴き手に投げかけることで問いかけ、対話しようと考えました。しばしば弱く、攻撃性の対極にあるカワイイ。カワイイから何を受け取り、何を見出すでしょうか。
◉《ハラキリ乙女》(2012)
欧文タイトル:Harakiri Maiden
編成:biwa and orchestra
薩摩琵琶は古くは武士の教養として発展し主に戦記物を語ってきました。西洋古典音楽の視点から見ると琵琶は合理的な楽器ではなく、音程は不安定で、楽音に対してサワリと言うノイズがのった音を奏します。これは、伝統的に日本では好ましい音とされてきました。
日本に生まれ西洋音楽に囲まれて西洋音楽を学んできた私にとって、琵琶を知ることは未知の領域に踏み込むことであったと同時に、感覚を再発見していくことでもありました。
いま世界に通じる「HARAKIRI」という言葉の、インターネットをはじめ情報が溢れる中イメージが一人歩きし、日本的なものとしてキッチュに記号化されている様をタイトルにしました。ハラキリ、切腹とは武士が腹部を短刀で切り裂く自死の作法。描こうとしたのは、刀を持たない現代において、カッターなどの鈍い刃物で斬りつけるような質感。琵琶が空間を切りつけ、オーケストラから溢れ出すのはショッキングピンクを基調に夢いっぱいつまった乙女の器官であり大量のもの言わぬ物質の塊。
2年前、オーケストラのための《水玉コレクションNo. 6》を書く際にインスパイアを受けた造形作品の作家で琵琶奏者の西原鶴真より、今作の成立に大きな力をいただいたことを記します。
◉《水玉コレクション No. 3》(2009)
欧文タイトル:Dots Collection No. 3
編成:for violin and piano
ドット、水玉を集めるというタイトルで、機会ごとに異なる編成のための作品を書いてきました。特に3作目以降、1音(音ひとかたまり)の質感を描いています。水玉模様は斑点、毒キノコなど危なさや病的なイメージを伴うものだったり、脆さ、儚さだったり、ポップでかわいかったり、人工着色料的でキッチュだったりします。No. 3は水玉ひとつずつが異なる色をしていて、一定のビートでひとつずつ空間の中で現れて消えていきます。