自由な音楽へ
——現在は多彩な作品を創作されていますが、これまでどのような音楽に触れ、影響を受けましたか。(小島)
清水チャートリーさん(以下、清水):幼稚園のころ、ピアニカが上手かったみたいです。それでピアノを始めることになったのですが、自分にとってずっとピアノの前に座って楽譜を追うのは辛かったですね。音楽に自由を見つけるという人も結構いると思うんですけど、その頃の自分にとっては、正直に言って、音楽は自由を奪うようなものでした。それで12歳か13歳のときにピアノを弾くのをやめてしまったんですけど、少し時間が経って、高校に入ってから、みんなの前でピアノを弾く機会があったんです。当時の私は、仲の良い少数の友人たちの前以外では凄く無口な高校生だったんですけど、講堂でベートーヴェンのピアノ・ソナタか何かを弾いたら、普段関わらないみんなもワッと笑顔になってくれて。はじめて音楽がコミュニケーションになると気づいた瞬間でした。そこからまたピアノの奥深い魅力を再確認して弾き始めたんですが、これまで習っていたクラシックはあまりやらず、鍵盤の前で即興ばかりしていました。その頃に聴いていた自由即興やジャズには結構影響を受けているかもしれません。大学に入学してからは、とにかくこの世にある音楽を全て知りたいという欲求から、狂ったように、渋谷のスクランブル交差点前にある大きなTSUTAYAに通っては、日本のメジャーなポップスから海外のよくわからないCM音楽まで、CDを借りて聴きまくってましたね。
——ピアノに対して「自由でない」という感覚を抱いたのは、過去の作品を演奏して再現する行為にあまり興味が持てなかったということですか。(原)
清水:今では作曲家として自分の楽譜を演奏家に渡しているのにこんなこと言うのもなんですけど、作曲家の書いたものが正しくて、自分は黙ってその作曲家の言う通りにしなければならないという文化に耐えられなかったんだと思います。もちろん、今となっては、すごく狭い世界しか見えていなかったんだと自覚する所もあるものの、これが当時感じていたリアルな感覚です。
音楽の伝統とドレスデンの環境
——ベートーヴェン、シェーンベルク、ブーレーズのような「偉大」な作曲家たちやその系譜と関わることは、清水さんの作品にとってどのくらい重要である/重要でないと考えていますか。 (小島)
清水:自分がやっている音楽がいわゆる西洋芸術音楽の流れを汲んだ表現であることは、認識しています。ただ、たとえばドレスデン音楽大学でマーク・アンドレやシュテファン・プリンスから作曲を学んだとはいえ、意識的に彼らの音楽性を受け継ぐという考えはないです。今は創作を理論的にしている訳ではなく、あくまでも好きなものを自由に作っているので、どの系譜に属する音楽が生み出されているかなどは、自分の知らないところで後々になって作品から滲み出てくるものだと思っています。自分がいなくなってから、見知らぬ誰かが「この作品はあの流れを汲んで創作されたものだ」ということに気付いてくれるかもしれない。
——今日、ドレスデンでの講義では、巨匠作曲家の作品は重要視されているのでしょうか。音楽大学の学生は、伝統を受け継ぐものとして教育されているのかお尋ねしたいです。(小島)
清水:自分が在籍していた頃のドレスデン音大では、マークによる1コマ6時間の授業があって、私が入学した最初のセメスターではヴェーベルンの作品を、続く第2セメスターではベートーヴェンの作品を扱っていました。なので、大学としては歴史に残る作曲家の作品とその伝統をすごく重要視していたのだと思います。
——なぜドレスデンを選ばれたんですか? (八木)
清水:少し時間を遡る必要があるんですが、アメリカに住んでいた2017年の夏に、フランス南部の山中にある人口1000人ほどの村で行われていた作曲講習会に参加したんです。その講習会のコンサートが始まる前に、村の村長が、自分の言葉で現代音楽について20分ほど語っているのを見て、その環境に驚いたことがあります。ちなみに、その講習会で作曲の講師を勤めていたのが、ドレスデン音大で教授をしているマークでした。
講習会の後、アメリカに戻り、ペンシルベニア州のピッツバーグ大学で三菱財団のフェローとして働き始めました。そこでは有り難いことに毎月研究費と生活費が支給されていたんですが、残念ながら自分の作品を含む音楽に対する建設的な批判がほぼないという環境だったので、いわば「ぬるま湯」のように感じはじめたんです。「自分ははたして、クリエイティブな刺激の少ないこの環境で本当に心から面白いと感じられる作品を作りつづけられるのだろうか」と考えるうちに、ちょっとまずいなと思うようになりました。
そこで、ヨーロッパで体験した音楽環境を思い出し、より表現に対する批評が活発だと思われるヨーロッパに20代のうちに拠点を移して、揉まれてみようと考えたんですよ。それでアメリカからマークにその旨をメールで伝えたところ、「じゃあドレスデンに来なよ」と言ってくれて、2週間後の航空券を予約して、ある意味逃げるようにドイツに行きました。 そういう経緯です。
雅楽の時間性
清水:マークとは、授業中でも授業の外でも、自分の書いた楽譜を見てもらうというよりも、一般論としての音楽の流れや時間性について議論していました。マークに会う前はまだしっかりと言語化できていなかったのですが、国立音大に在学していた時から笙に触れてきたことで、西洋音楽では見られない、雅楽の持つ時間性を体感できたことは本当に財産になっていると実感しています。
——それはどのようなものでしょうか。(原)
清水:基本的な話からはじめると、一般的な西洋音楽の楽譜にはテンポ指定と拍子記号があります。オーケストラで4分の4拍子の音楽を演奏する場合、指揮者が指定されたテンポ通りに「1、2、3、4」とタクトを振り、奏者もそれぞれ、自分の中で同じ拍を数えるんですよね。これをラテン語の「拍」を意味する「metron」と、「規律」を意味する「nomos」からなるメトロノミカルな時間性と呼びます。
一方で雅楽の譜面には、西洋五線譜と同じ意味合いを持つテンポ指定と拍子記号は存在しません。雅楽には気替えという概念があります。西洋音楽理論的な視点からのプラグマティックな解説になりますが、雅楽で指定されている拍のサイクルが4つの場合、気替えは、4拍目に行うのですが、そこでは吸って吐いてのバイオリズムのサイクルに応じて時間が伸縮するんです。こういった音楽の時間性や、それに似たような時間性を自分の作曲作品に応用したら面白いことになると考え実践しています。
もう一つ、イディオマティックな時間性というものもあります。たとえばピアノの鍵盤を叩くと音がパンと出て、それからその音がゆっくりと減衰して「無」になっていく、その過程の時間性です。 無論、音の減衰の速度は、ホールの大きさや観客数などにより大きく左右されるため、音楽の流れをリアルタイムで作り上げる演奏家に大きな裁量がのしかかる時間性になっています。メトロノミカルな時間性を持った記譜法は、このようなイディオマティックな流れを重視する音楽には適していません。記譜法によって音楽の流れが檻に閉じ込められてしまうのはもったいないことなので、作曲する際にはなるべく柔軟に、瞬間瞬間に最適な音楽の流れに適した記譜法を使うようにしています。
少し話が飛びますが、言語とその言語の話者の奏でる音楽の時間性は密接に関わり合っていると思うことがあります。もちろん、世界は非常にダイバーシティに富んだ場所なので、一つの国籍を共有する多様な人々のバックグラウンドを一緒くたにすることはできないのですが、あくまでも自分が個人的に体験したことでいえば、たとえば日本人同士で日本語で会話をしていると、言葉と言葉のあいだに自然と「間」ができるんですよ。 いっぽうアメリカで話されている英語はというと、みんな川が流れるようにバーっと話していて、言葉と言葉のあいだに「間」がないんですよね。「間」があると居心地が悪い(awkward)と感じるようです。これもまた個人的な体験でしかないですけど、アメリカで他の作曲家の楽譜を見させてもらった時に、アメリカの少なくない作曲家は楽譜に記譜した休符をあくまでもリズムのユニットとしか考えてないのだと気づいたんですよ。 いっぽう日本人の楽譜を見ると、たとえば近藤譲さんの楽譜などでしょうか、休符のときにどういう色の無音が欲しいのかをしっかり楽譜に記譜している場合があります。それもまた、言語の特性からくる世界観や、イディオマティックな時間性に対する認識の違いではないでしょうか。
——特にオーケストラなどの大きい作品を演奏するときに、ある程度のメトロノミカルなリズム感の共有が必要になってくると思いますが、揺らぎを取り入れるような方法は、大きい作品でも機能しますか。楽譜を書かれるなかで、厳格さと自由のバランスについてどう考えているのでしょう。(八木)
清水:やっぱりメトロノミカルな西洋の五線譜は特定の種類の音楽に対してとても優秀というか、操作性が高いんですよね。 ものすごく細かいリズムを記譜することもできるし、何十人もの奏者が同時に演奏することができます。なので、細かいリズムを記譜したいときは、私も西洋のメトロノミカルな時間性にのっとります。しかし、大きな楽器編成の作品に非メトロノミカルな音楽の流れを表現したい場合にも、テンポ指定と拍子記号を用いた西洋の五線譜を使うことなく、様々な工夫をして自分のやりたいことやコンセプトを体現できていると感じています。 《サカナ・サテライト》(2021)という作品を例に挙げさせてください。 この80人のコーラスのための作品では、歌い手全員がラグビースタジアムのフィールド上で大きな円を形成し、別の場所にいる指揮者がウェブ会議アプリを介して、歌い手一人一人が手に持っているスマートフォンに指示を送ります。本作品の音楽の流れは、各歌い手の体内時計を用いて形成されていくスタイルになっています。たとえば、あるフレーズを10秒間歌うという記譜があるのですが、それはタイマーを用いて計る10秒ではなく、一人ひとり心の中で数える10秒なんですね。人間はそれぞれ時間感覚が違うので、一人ずつそのフレーズを歌い終えていくんです。作中、指揮者は慣習的な指揮を用いることもありますが、あらかじめ楽譜には各モチーフに番号を記載しているので、指揮者がその番号を右手もしくは左手の指を立てて歌い手に示すことができれば、特定のフレーズの始まりの合図を送ることができます。簡単なことですが、このように手法を工夫すれば、より多様な時間性を多人数で同時に表現することができます。
——冒頭で、奏者としての清水さんは記譜に縛られるのが嫌だったというお話もありましたが、論考でも詳しく書かれていた《ねんねこパンツ》(2021)などは、とても細かく指示が書かれていますね。どのような表現や時間性をとるにせよ、作曲家のアイディアをちゃんと汲み取れるように書かれているということは、奏者にとってはありがたいことだと思います。(八木)
清水:《ねんねこパンツ》も《海老レボリューション》(2022)も、音楽を記譜した楽譜部分だけでなく、セッティングやモーター付きヘルメットの構造とその組み立て方などを詳しく説明したパフォーマンスノートも何ページにも及び、リハーサルや公演当日の準備はすごく大変だったかと思います。奏者の方々、そしてスタッフの方々には感謝しきりです。作曲家として、自分がその場にいなくても作品を再現できるよう、穴のない楽譜の制作を心がけています。その上で、作品の最重要部分の再現性さえしっかり可能になっていれば、大まかなテンポや、時には楽器編成など、音楽面ではかなり自由度の高い楽譜になっているのではないかな、と自負しています。
アカデミズムの「ルール」
——論考の中に、台湾ではアカデミックな前提がいい意味で希薄なので、心にズドーンとくる音楽が生まれているという話があったと思います。他の国とどのような違いがあるのでしょう。(小島)
清水:前提として、論考に書いたのは、あくまで僕が関わってきた身の回りの話です。ドイツではもともと学生だったのでアカデミックな音楽家と一緒に仕事をすることが多く、次の台湾ではむしろそこから離れて、自分の音楽感を濡れた粘土のように練り直そうと意識していたので、西洋音楽を音楽大学などで学んだ音楽家と仕事をする機会が、過去に拠点を置いていた場所に比べて少ないと感じているという意味です。台湾にアカデミックな現代音楽は当然存在しますし、この分野で世界で活躍している方も多いです。なんだかんだ私も度々台湾の大学で講義をさせてもらっていますが、ドイツやアメリカで私が体験した環境同様、学生たちは必要に応じて伝統を重んじて、アカデミックな現代音楽に分類できるであろう作品を作っています。
私はと言えば、台湾に拠点を移してから、所謂アカデミックな現代音楽に分類されるであろう作品の作曲を続ける傍ら、笙を用いて、他の東アジアの伝統楽器の演奏家たちや、ムーブメントアーティストたちと一緒に自由即興をすることが多いです。そこにはプログラムノートや技法の説明など、言葉を紡ぐことにより作品を解説する行為は存在せず、奏者が意識的または無意識的に抱いている、言葉にならない「何か」を生々しく吐露する行為のみが存在していると認識しています。ステージを共有する共演者の言葉にならない「何か」が自分の抱く「何か」と重なり合ったとき、ラジオマニアが未知なる電波の受信に成功した時のような感動を味わえます。これが、私が論考に書いた、台湾で見つけた「心にズドーンとくる音楽」です。
アカデミックな現代音楽にどっぷり浸かっていた私が、そこから少しだけ距離を取ってみて気付いたのですが、アカデミックな音楽家は言葉に頼りすぎる面があるように感じます。 これは私自身もそうだと思います。そうすると、その分野に精通してない人は批判ができないだけでなく、何も言えなくなってしまい、自分から遠い所の音楽になりかねないんですよ。振り返れば、自分も無意識に同じようなことをしていたことがあると気づくこともありました。
それから、これは表向きにはないこととされていますが、アカデミックな現代音楽には「正解」が存在してしまっている。現代音楽には結局のところ「西洋」という言葉で表現されることが多い、アメリカや西ヨーロッパの「体制」(institution)が決めるゲームのルールがあって、それに沿って作品の評価が下されている現状がある。たとえば、2024年時点でのルールのひとつに「多様性の尊重」があります。私も自分のバックグラウンド的なことからも、また、様々な国に居住させてもらった体験からも、誰もが安心して尊重される社会を心から望んでいます。しかし、「多様性」というかけ声があると、 みんな手っ取り早くわかりやすい方向に走ってしまうというのが、マス(集団)の難しいところかもしれません。たとえば私が欧州で作品を発表する際、そこにいる多くの聴衆は私に日本的な作品を少なからず求めます。そして彼らの想像する「理想的」な「日本」が詰まった作品がプログラムに組み込まれる事によって、彼らの中で、分かりやすいインクルージョンが達成されるんです。ただ、私は国籍やアイデンティティは日本人ですが、毎日座禅を組んだり、合気道の練習に励んだりしているような、彼らが望む「理想的」な日本人ではないんです。いっぽう、会話するときに相槌をたくさん打つとか、外出時にマスクをつけることに抵抗がないとか、むしろそういう欧州の人たちから少し奇異な目で見られるようなところで、オーセンティックに日本的なところを自然と表現できているのではないかと思いますし、作品からも無意識のうちに滲み出ているのではないかと考えています。アカデミアに深く浸かっていると、「体制」が提示する「正しい音楽とそのあり方」の分かりやすい解決策にどうしても寄り添ってしまいがちです。そのほうが、作品発表の場も増えますし、作曲の仕事もより多くいただける可能性が高まるので。無意識のうちに観客の求める日本的なものを無理やり引き出そうとしている作曲家ってとても多いと思うんですよ。私もそうでしたね。
——そうした経緯もあって台湾に移られた。(西村)
清水: 私はアカデミックな現代音楽やその世界から完全に離れることを目的としている訳では全くなくて、あくまでも多種多様な価値の領域を横断して「現実を生きる清水チャートリー」に影響を与えたいと考えて、自分が深く浸かっている環境とはまた別の世界の扉を開いてみた、ということです。台湾で再確認したのは、音という抽象的な媒体を通じて表現しているんだから、言葉や論理だけではなく、曖昧さにもっと頼ってもいいということです。論考に書いた「心に響く音楽」とは、 頭ではなく心で音楽を咀嚼できたときのことを指しています。そういう意味でアカデミアから遠い表現は自分にとって新鮮でしたし、自分もその世界を体験してみたいという気にさせられましたね。
——台湾では、アカデミアから外れてオルタナティブなことをやっている人が活動できるスペースや制度も充実しているのでしょうか。(原)
清水:制度はちょっと分かりませんが、私が今まで台湾の音楽仲間たちと自由即興をやらせてもらったスペースは、そのような音楽専用のスペースではなく、インテリアライトを専門とするお店であったり、日本統治時代の建物を修復した喫茶店であったりと、音楽家がその場所のオーナーに直接声をかけてやらせてもらうことが多かった気がします。人と人との繋がりによって、思ってもみなかった場所に聴衆が集まり、即興演奏をさせてもらうことは非常に新鮮に感じましたし、音楽やアートの専用スペースでない中で演奏することは、社会の中に、商業的でない音楽を少しだけ引き戻せたような気もしました。
また、日本で非アカデミックかつ商業的でない音楽活動をしている人の数は、他のアジアの国々と比べると相対的に多く、かなりディープな所までその世界が存在するという認識を個人的に持っているのですが、台湾にも相当奥深い音楽シーンが広がっています。一方で、日本の人口が1億2500万人くらいいる中、台湾は2400万人くらいなので、台湾の音楽家たちは常に世界に出ることを意識している印象です。また、台湾はアジアで一番進歩的な思想を持つ国と言われているらしく、自由な表現と言論を求めて東南アジアをはじめとする世界中からアーティストが来て台湾の音楽家たちとコラボレーションをしているのを間近で見させてもらってます。
音、「音楽」の定義
——ヨーロッパで求められがちな日本性を超えたところにある、清水さんのコアとなる表現はどのようなものなのでしょうか。個人的には、サウンドだけでは完結しない多元的な要素が重要だという印象があります。(小島)
清水:「サウンドだけでは完結しない多元的な要素」と仰られましたが、確かに、今年、旧炭鉱施設の廃墟の一室で演奏されることを想定して作曲した《麒麟テレフォン》(2024)のように、特定の場所の特性を作品に組み込んだ「サイト・スペシフィック・ミュージック」や、モーターで動く海老のフィギュアを頭に乗せて演奏する《海老レボリューション》のように、楽器や演奏者の機能の「エンハンスメント」(強化)を目的に、機械的オブジェなどを用いた作品、つまりサウンドだけでは完結しない音楽作品を作曲しています。しかし、それはあくまでも表現したい世界が先にあって、視覚的要素やコレオグラフィーを組み込んだ音楽を作りたいという意図が先にある訳ではないです。 私が伝えたい世界観を観客に一番伝わりやすい形にするにはどうしたらいいのかを考え、作曲依頼のタイミングや予算、演奏家からそのアイデアが賛同いただけるかどうかなど、幾つものハードルを超えて、運よく生まれてきたのが今いる作品たちなのかもしれません。
——清水さん自身の身体性を感じる作品が多い印象があります。(西村)
清水:少し乱暴な説明にはなりますが、私の創る音楽は、自分が体験したことが直接音楽になっている、つまり作品は自分の人生そのものだとも言えます。たとえばドレスデンに住んでいた頃のことですが、 フランツ・カフカの『変身』の主人公が朝起きたら突然、毒虫になっていたのと同じく、私もある朝突然、甲虫がひっくり返ったようにベッドから起き上がれない状態になり、それが2週間ほど続いたんです。数年後、その体験が自分の中でなんらかの形で消化されたのか、コントラバスを甲虫に見立て、6本の動く甲虫の脚を楽器に設置し、その楽器を床に寝かせた上で上演する《変態ビートル》(2022)を作曲するに至りました。 ここまでダイレクトに体験が創作に繋がったことはそう多くはありませんが、このように自分にとって言語化しやすい体験も、そうでないものも、何かしらの形を持って今後のアウトプットになっていくんだと思います。
——サウンド自体の面白さをどのくらい重要視していますか。(小島)
清水:音に対するアプローチは作品ごとに違うのですが、作曲プロセスに置いて、作品の「世界観」、奏者がステージ上で行う「行為」、そしてそこから生み出される「音」の三つがしっかりと繋がることを確認して初めてその音を採用します。音楽作品なので、サウンドの面白さは、私の中で非常に重要なウエイトを占めていることは確かですが、やはり一つの「世界」を創造するための素材なので、いくらサウンド単体で面白いものを発見したとしても、それを用いることで作品の「世界観」が薄れてしまうようであれば、本末転倒に感じます。たとえば《金魚オブセッション》(2017)は自分にとって、その三つがしっかり合致した作品だという風に自負しています。次々と雨のように金魚が湖に降ってくる世界を表現しており、金魚が口をパクパク動かすように、4人の声楽家たちがそれぞれ上下の唇を閉じ、力強く空気を前に弾き出して破裂音を出し、それをリズミックに繰り返すという作品です。このように、全ての作品において、お話した三つを繋げながら、面白いと感じられるものを作っていきたいですね。
ちなみに、論考では、サウンドについてはあえてノータッチだったんですよ。作品の音部分についてあまり解説したくないなというのが根底にあるんですよね。私は、プログラムノートをかなり細かく、詳しく書く方だと思います。これは多くの言葉を用いて作品について語りすぎるのはどうなのかと疑問を呈した件と一見矛盾するようではありますが。 作品のコンセプト、自分が想像している作中の世界や、作曲された経緯などを書いて、必要であれば作曲技法などについても解説するんですけど、それでも音そのものについてはあまり説明しないんです。人間は自分自身のことさえ理解しきれていない生き物なので、私自身も当然、自分の表現の真髄なんて理解しきれていないし、それを完璧に言語化できるとは到底思ってないので。それをオープンエンドな問いとして聴衆に、そして作品から距離を置いた自分自身に投げかけることにより、作品について新たな発見があるんだと思います。コンセプトや作曲の経緯については、ある種のヒントというか道筋を聴衆に提示して、肝心の音については、せっかく抽象度が高い媒体なので、あえて直感的なもの(intuitive)として残していますね。 音は受取手がそれぞれ心で咀嚼して、消化してほしい。
——清水さんは、色々な場所を旅されてきたと思うのですが、どの時点で、どういった経緯で、そうしたサウンド観に至ったのでしょうか。(原)
清水:学部時代にコンピュータ音楽を専攻しながら雅楽に触れたり、アメリカの大学院でサウンドアーツを学ぶことで、器楽作曲とはまた違った観点から「音」を見つめる体験であったりと、学生の時に体験したことも確実に今の自分の創作に大きな影響を与えているかと思います。三つのペルソナのメタファーや、「現実を生きる清水チャートリー」の体験から音楽が生まれることも、言語化できていなかったにせよ、学生時代から意識していたと思います。
あと、「ポスト作曲時代:塩田千春作品を聴く」という記事にも書いたことがあるんですが、2019年に東京の森美術館で塩田千春さんの《集積―目的地を求めて》という作品を体験したことが、私の創作に対する視点が大きく変わるきっかけになったと認識しています。自分が深く影響を受けた作品を一言で、表層的に紹介するのは本来やりたくないことではありますが、作品をご存知ない方のために説明すると、この作品はベルリンの蚤の市で集めたとされる数百の使用済みスーツケースが天井から吊るされていて、時折、スーツケースの中に設置されたモーターによって振動するというものです。スーツケース同士が振動によってぶつかり合う音を聴いたことで、それらが空であることを確信し、一度はモノを詰められることによって役目を果たしていたであろうスーツケースたちが、役目を終えて天に登っていく情景に、絶望的な虚無感を覚えたんです。
この体験によって、音の記号性について深く考えさせられたのと同時に、塩田さんが作為的にこの音響的素材を用いた訳ではないという前提での話になるんですが、作者が意図して表現した形以外の、作品の思わぬ所から、その作品の真髄が滲み出る可能性があるということに気付いたんです。長くなってしまいましたが、この作品を体験したことにより、表現というのは、作者自身が「視覚」や「音」などと区別する必要がないと気付けたのが一点。そして、解説のない、オープンエンドな部分をあえて放置しておくことで、作品から一度離れた作者自身を含む聴衆が、そこで新たな発見をすることが可能になるかもしれないという二点を学べた気がしていますし、意識的にも無意識的にも自分の創作にも反映されていると思います。
——これまで様々な表現技法を扱ってきたと思いますが、新たに興味を持つ表現はありますか。(西村)
清水:これまでの約10年間、つまり20代の頃は、小さな成功体験と大きな失敗を交互に繰り返しながら、時にはめちゃくちゃ迷いつつも、自分の「声」を探していました。30代に入って少し経ち、やっと自分が本当にやりたいと思える音楽が、心から表現したいと思える創作が、できるようになってきた気がしています。なので、現時点では新たな表現技法にチャレンジしたいというよりも、今やってることをもっと深く掘り下げたいという気持ちが強いですね。今やってることの延長でもっと知りたい分野としては、シネマトグラフィーとコレオグラフィーをより体系的に学んでみたいという所でしょうか。
少し前はシアターに興味を持っていて、リハーサルなどに潜り込んだりしていました。そこで気づいたのは、シアターには再現のための「楽譜」がないことです。私なら、自分の作品においてコレオグラフィーも音楽の一部として認識しているので楽譜にしてしまうところですが。やはり未知の世界に入ってみると様々な刺激がありますね。ただ、人生は短い上、まだ音楽という広すぎて深すぎる世界を全然理解できていないと感じているので、別の世界の扉を開いてしまったら、そこからドバーっと流れ出てくる濃度の高いエネルギーに押し潰されて全てがダメになってしまうのではないかといった不安も抱えています。
2024年3月29日
Zoomにて
インタビュアー:小島、西村、原、八木