痛みの解明
はじめに
泣きたくなる感覚がある。心の動きに関する感覚なのだが、それが痛み(いたみ)のような感覚とともに起こることがある。ガラスケースぎゅうぎゅう詰めのぬいぐるみを放っておけないのは、私の勝手な癖だ。私の身体はこれまで年に2-3万人の自殺者を出す高度資本主義日本社会に流れるリアリティの、小さな一端を受信し続けてきた。
資本主義社会において「ポップ」であることとは、大衆向けで一般に広く親しまれていることを意味するのだとしたら、その意味では私がこれまで作ってきた音楽は「ポップ」とは軸がずれている。しかしその一方で、私はずっと私自身を取り巻く環境に直通する「ポップ」という思想・現象を意識して作曲をしてきた1。そのことについて考えていくうちに、「泣きたくなる感覚」が、大衆性(「ポップ」)と深部で結びついていることに気が付く。正体のわからない痛みを顕在化させることへの欲求が、私が作曲することの動機と強く関係していたのだ。
ここでは「ポップ」と「痛み」がどのように関係し、西洋芸術音楽の実践とどう繋がるのか、その一端の言語化を試みる。これは私が過去にたびたび「ポップな毒性」と発言しつつ曖昧だった部分についての整理でもある。
物質世界、アメリカ実験音楽
芸術音楽としての作曲を始めた10代以降、私は「生きていることの実感がない」を原動力に創作をしてきた。もっと幼い頃はゲームや漫画といったサブカルチャーに没頭していた。スーパーファミコンソフトのBGMをカセットテープで録音し、それを聴き取ってヤマハのエレクトーンEL-90やEL-900で音色を作って自分で演奏し再現して遊ぶ子供だった。オリジナル楽曲も作るようになり、ヘッドフォンを装着して一人閉じこもりファンタジーの世界を創造した。そして作曲を学びたいと思い芸術大学に進学したことをきっかけに、図らずも西洋芸術音楽実践の場に立たされ、大きな西洋の伝統と物質世界としての現実に対峙していくようになる。
私はインターネットが普及する前の兵庫のニュータウンで育った。聴きたいか否かに関わらず多くの時間、人工の(アーティフィシャルな)音や音楽をたくさん浴びていた。その中で特に印象に残っているのは、大きなメッセージの反復だ。音自体の反復、学校や駅など公共施設で決まった時間に決まった音楽が流れる反復、テレビなどマスメディアで繰り返し流れる反復。ときにそれは、過剰に情動的だったり、扇動的だったりする。誰かが作った音や音楽をひとつひとつ大切に受け取る前に、「大きな仕組み」が立ちはだかる。「大きな仕組み」は最大公約数を志向して効率よく世界を回すために張り巡らされた仕組みだ。私はそれを純粋に全身で受け取っていた。独自の質感だった。物理的な物質世界で浮遊する感覚のまま、思春期の私は離人感を発症するなどしていた。
こういった物質世界の肌感覚を受け身ではなく音として能動的に外へ出そうとした。もともと習い事としてピアノのレッスンから始めた西洋音楽は、私に物質世界と対話する力を与えてくれた。戦後日本の資本主義の源流であるアメリカで発祥した実験音楽のうちラ・モンテ・ヤングやモートン・フェルドマン、そしてミニマリズムに特に共感を覚え、書き方において影響を受けた。例をあげると時間構造についてだ。私は水平的な構造づくりを放棄した。それによって思考を閉じて感覚を開き音そのもの(質感のディティール)の知覚に集中することができる。肌感覚で、ピッチが色として繋がっていく地平で全画面を色で埋めるように、年月をかけて身体に蓄積してきた理解できない何か、感情、抑圧、違和を、ひとつひとつ確かめるように塗りながら作曲を進めた。音ひとかたまりを少しずつ変容させて並べていく書き方だ。初めてこのスタイルで作曲した作品はヴァイオリンとピアノのための《水玉コレクションNo. 3》(2009)で、曲の始まりと終わりは、コンサートホールという場所で作品を体験するために便宜上作られている。記譜されている音はあり得る数あるパターンのうちのひとつの姿であり2、どこから始めてどこで終わっても、途中だけ聴いても本質は変わらない。つまり物語的な構造、構築性の必然がない。デジタルの触感を志向して一定のビートでパターンを出現させる。垂直に、沈み込むように音ひとかたまりに色をつける。このように、パターンの「型」を変容させていく方法はこの後多く行っている。
《水玉コレクション No. 3》(2009)より
90年代、日本、女子高生
身体を取り巻く流行(「ポップ」)≒空気≒環境ということを巡って、もう一度社会構造との繋がりから思考を続けたい。私が少女時代を過ごした環境は援助交際という言葉が生まれた90年代バブル崩壊後の日本で、女子高生というだけで着用した衣服が高額に換金される世界だった。2023年4月に主催した公演3のアフタートークで、2020年代の少女世代であったイラストレーターNABEchanは「日本では少女性がすごく価値があるという風に、企業とか広告とか、社会全体が少女像っていうものを漠然と決めている」と語った。価値という言葉自体はポジティブであるものの、例えば「若い女」というラベルによってその他の可能性の翼がことごとくへし折られたり、がくっと膝に力が入らなくなるような、鳩尾が痺れて吐きたくなるような、視界が黒くなるような、潜在的な脱力感が何年もかけて緩やかに積み重なっていく感覚と、少女の「価値」というものは切っても切り離せない。両義的なのだ。当時は上記のような表に出てこない感覚が何なのか把握できなかった。主体としての少女の声に本来伴うはずの一人一人の痛覚は、自身の中にさえ女性嫌悪を抱え顕在的に自覚できず、私自身の思考体系の柱にしていた西洋芸術音楽によっても感覚的に解明できないものだった4。
私が少女だった頃、ニュースでは私たちの世代はキレる若者と言われた。震撼する少年犯罪のうち私と同学年だった酒鬼薔薇聖斗の事件は、三輪眞弘による4人の女性キーボード奏者のための作品《言葉の影、またはアレルヤーAのテクストによるー》(1998)において主題化されている。この作品は、聴感上は表現主義のようなどろどろした激烈な音楽ではなく、機械的にのっぺりと、ポップとさえ言えるテクスチャーを繰り返し、ミニマルに音色が移り変わっていく。それは私にとっては胸が掻きむしられて引き裂かれるような激烈な痛みの音楽だ。「痛み」と言っても、どの言葉をつかっても正確に言葉で表現できはしないものなのだが、本稿では「泣きたくなる感覚」としてみたい。私は、こうした物質的に豊かであった日本の環境で、「大きな仕組み」に対する行き場の無い、折り合えない裏面を遮断したまま生きていられなかった。そうして掘り起こしていったものが、痛覚のようなものだと思う。この痛覚は「大きな仕組み」によって敷かれた環境によって生じる。多くの人にとっては見たくないし、気付かされたくもないものなのかもしれない。この感覚の全てを感じ続けるなら、気が狂うのだと思う。強く反復的な刺激によって痛覚は麻痺して、壊れる。そうやって壊れた痛覚を探り当ててその存在を確かめることを潜在的に私はしていた。刹那で常に移り変わる感覚、それを色≒ピッチで記憶してその破片を書き留める。これもパターンに色を塗る方法だ。混声合唱曲《学校と制服》(2019)では8小節をひとかたまりのパターンとして集積していく作りで、修礼、ソルフェージュなど、私が生きた時代の教育を由来とする音の「型」を「記号」として引用し、色をつけた。いくつかの「型」(右へならえ、挙手、カウントなど)は色の変容ではなく「記号」としての装飾として貼り重ねていく。このように「音ひとかたまり」より長い特定パターンの変容によって、しばしば作品を作曲した。これまで大衆性(「ポップ」)として論じてきた「大きな仕組み」に紐づく音の「型」は、いずれも西洋の伝統(《学校と制服》では明治期に日本が輸入した軍楽)と繋がっている。
《学校と制服》(2019)より
記号、近代的芸術観
あるとき、色を塗るようにピッチによって「泣きたくなる感覚」を塗り固めていく表現が全然通用しない状況に遭遇した。琵琶との協働であった。ピッチによって感情(複雑、微細な色)を表現するこれまでの書法は、水平的な構造を破壊したことを除けば、例えばロマン派音楽のようでもある。違いはふたつ。ひとつは表現すべき感情や感覚のようなものが時代と環境に強くリンクしているため「質感(色)」を異にすること。もうひとつは近代的芸術観に対して相対的であること。
琵琶と西洋の近代的芸術観はマッチしない。邦楽器のひとつである薩摩琵琶の音楽は、伝統的にはピッチと情緒を噛み合わせていない。ピッチ(色)に主な作曲の焦点を置いてしまうと、琵琶を一方的に西洋の伝統に合わせることになる。そこで音と間(ま)の「質感」、つまり空間の「質感」づくりに主な焦点を合わせた。琵琶とオーケストラのための《ハラキリ乙女》(2012)では武士の動きを模写する琵琶にカッターナイフを握らせるような鈍い「型」をあてがう一方、西洋オーケストラには具体的な素材や形そのままの色をできるだけ活かしてコラージュを施すことで、対等な対話を目指した。切りつけた傷口から長音階という「記号」を溢れさせ、ピチカートで作ったカラフルなビーズを散りばめ、グリッサンドでピンクの血液を流していく。具体的な「型」をデコレーションすることによって空間の「質感」を作りだすように楽譜化する。この曲は物質的な無傷から空間が液体の海になるまでの一方向的な時間構成を持つ。色づくりで表現する以上に、既にある色を意識的に「選ぶ」ことをして、具体的な「型」とその集積による「質感」で痛みを表現する。ここでのピッチ選択、例えば執拗な十二平均律長音階は、近代的芸術観、効率追求の思想を内包する「記号」として引用している。何かが本来の機能から分離し「記号」として氾濫する様は、つまり私自身が囲まれてきた環境であり、その環境をよく見つめることは痛みの解明を意味する。
キッチュ
このようにして薄さ、軽さ、かわいさ、冷たさ、弱さ、そして痛みと音を繋げるために「記号」的な引用をすること、つまりキッチュであることは有効だと意識し始めた。三和音や十二平均律を本来の機能と切り離して「型」に押し込めて処理すれば、使い方によってキッチュで薄っぺらく空虚な質感を作ることができる。このキッチュさは複雑な痛みの感覚そのものを喚起させる。例えば使い捨てプラスチック容器の質量感と情緒がリンクするように(これも勝手な投影をする私の癖によるのかもしれない。)。
音楽学者の若尾裕は「資本主義の領土化としての調性和声」あるいは「三和音の壁紙」と述べ、私たちの生きる環境では、なんとなく三和音と拍子感が記号のように漂っていると指摘する。
私には、この三和音の壁紙が、いまの時代の資本主義の感性を記号化したもののように思えるのである。秩序があり、清潔であり、なんでも商品として手に入れることのできる、心地よく安心感のある生活を象徴する記号として意味を果たしている
若尾裕『サステナブル・ミュージック』(アルテス・パブリッシング, 2017年)
現代音楽においてクリシェとして排除された三和音や調性、拍子感は、廃棄された素材として社会や人々を日々巡っている。新しさも猥雑さもキッチュさも近代的芸術観ではとても追いつけないくらい異なる次元、レイヤーで高速に循環し、加速し続けている。現代において市場原理は、意識する/しないに拘わらずあまりにも影響力が大きい。そのような環境を「状態」として作品にすることで客体化する。芸術音楽で廃棄されたキッチュな「記号」を無時間的で永遠的な「状態」5に押し込めてひとつの真理として描き放つことで、これまで言葉にしてきたような「泣きたくなる感覚」を昇華できないか考えた。
アンサンブル作品において、楽譜を縦に合わせることを前提とすると、五線上でどんなに緻密に表記しても「楽譜を縦に合わせる」という質感からは逃れきれない。縦を皆と合わせること、つまり近代的芸術観を推し進める思想である。近代的芸術観は資本主義(「ポップ」の思想)と同様に「進歩、発展」に伴う畏怖と痛み、私の言う「泣きたくなる感覚」を発生させ得る「大きな仕組み」だ。私はその「芸術」に身を置きながら絶対的な「大きな仕組み」を相対化する破壊をずっと行っていた。近代的芸術観としての優秀さや画一性をそのまま「型」として描き客体化することもあれば、ヴィルトゥオーゾ的進歩史観を相対化するためその反対の「未熟さ」について考え志向していく作品づくりも増えていく。進歩の否定や退化の推奨ではない。痛みの受容が目的なのだ。キッチュな「記号」を、アクセサリーを選ぶかのように色や形から組み合わせて表面を繕う。進歩史観への畏敬と痛みを両腕に抱えながら、室内楽作品《キッチュマンダラかわいい》(2021)では、アンサンブルの縦を合わせず、各奏者の体感的な拍子感をぶつけるように重ねた。未熟に、弱々しく、キッチュに。そして構造の完全性・絶対性を無効化する。たくさんあり得る可能性のうちのひとつの例として、毎回不確定に音の重なりが生成される。それは「質感」に観察可能性を集中させるためである。よく聴くこと。モダニズムの廃材、軽く、薄いキッチュな「記号」をぎゅっとぶつけて円環させた「状態」の作曲だ。
同じく「状態」を作るために、不確定性の割合を大きくして、任意の編成のための《カワイイ^_−☆》(2019-)の連作や室内楽作品《アミューズメント》(2018)などを書いた。楽譜はパート譜断片のみで、演奏時は各々の主観を研ぎ澄ませることを必要とする。或いはオーケストラ作品《アーケード》(2020)、トリオ作品《キュイーン、キュワーン》(2023)のように、本質的には水平的な構造を持たない「状態」だが数ある可能性のうちのひとつとして楽譜に確定記譜する書き方も続けている。
奏者は、作者により提案された数ある断片から、そのとき主観的に「可愛い」とリアルに感じたものだけを順不同に選んで音を出していく。主観は奏者毎に異なり、作者からの提案に「可愛い」と感じなければ、その提案を改変することができる。
大きな仕組み、所有概念
欧州で西洋音楽は特にシリアス・ミュージックとコマーシャル・ミュージックに区別されているが、その双方とも何らかの痛みの上に成り立つ「大きな仕組み」だ。その「大きな仕組み」の音楽の、「所有」概念の元にあるのが、音符(五線)単位で考えられた音楽の所有権である。シリアスとコマーシャルを区別して考えることで見えにくくなっているが、「所有」の根幹ではつまり西洋の近代的芸術観が強く支配している。
この世界は人がつくった音楽で溢れている。楽譜から作る音楽は、数ある音楽の中のひとつの独特な音楽実践方法とも言える。作曲して演奏し聴き届ける、楽譜の音楽の実践過程では、知性のコミュニケーションが比較的多く介在する。それは思考と感覚の接点をなぞっていくような、人と人の接触を通して納得していくような体験だと思う。日常的には、音はいつだって容易に流れてくる。ブラウザ上の別ウィンドウでそれぞれ別の音楽を同時に再生しているような、或いは別々のガジェットで同時に別のシステムを稼働させているような、或いは都市で複数のデジタルサイネージやBGMが同時に重なっているような状態は、日常で溢れている。この状態は音符単位では捉えられないが、楽譜の音楽として捕まえて実践し、触れてみたいと思った。《状態》(2018-)の連作ではそのような質感を観察する「意識」と「場」を作ることそのものを目的としている。《状態 No. 3》(2022)では、通常1曲ごとに上演されるべき自律した芸術音楽作品を匿名的に選び、複数同時にコンサートホールで演奏する。目的は「質感」をよく聴くこと。創作時の意図を超えた使用、暴力的な重なり、痛みとともに、相手に干渉しない狭い空間内での距離感、配慮、共存、優しさと遮断、過剰な情報や空間性といったことについて。芸術音楽鑑賞の場で体感し、思考を巡らせていく。
《状態 No. 3》(2022)スコア
おわりに
目の前の「大きな仕組み」である大衆性(「ポップ」)と近代的芸術観に向き合う中で捉えきれないもの——そこに痛みがある——の手触りを音で確かめることが、私の辿ってきた芸術音楽実践だったように思う。この実践にあたっては、過去に私自身の言葉で述べてきたように6、環境と肉体との関係の中で主観的な感覚を頼りに探求を進めた。こうして実践を続けることによって、一定時間拘束される上演の場では「痛み」にたくさんの人が耳を傾けてくれ、演奏家は「痛み」も光にしてくれた。「大きな仕組み」について議論する仲間は少しずつ増えていき、社会も変化している。
そして今に至るまでに、この叫びのような性質の衝動は静かな灯火に変わっていった。10代、20代、30代の時に抱えきれなかった「大きな仕組み」に対する「痛み」という、言葉にできなかったものの正体を、ようやくこうやって言語化を試みるまで客観的に(少なくともその存在を)認識できるようになってきたのだと思う。表現しないと生きられないといったコントロール不能な段階から、「痛み」を表現する選択も、しない選択も、どちらも選べる地点に移ることができたのかもしれない。一度ここに、今まで抱えてきた「痛み」を表現の必然から切り離して置いておきたいと思う。
脚注
- 『ベルク年報』に寄せた自作論考「音を視る」(2008)では過剰な大衆性、人間の営みを「人工」という言葉で表していた(日本アルバン・ベルク協会編『ベルク年報』第13号、アカデミア・ミュージック、2008年)。 ↩︎
- 東浩紀による「ゲーム的リアリズム」「シミュラークルとデータベース」という概念を後で知り、その世界の捉え方について体感的に心から腑に落ちた(東浩紀『動物化するポストモダン』講談社, 2001年。および『ゲーム的リアリズムの誕生』講談社, 2007年)。 ↩︎
- 2023年4月2日に北千住の「BUoY」 で行われた公演、mumyo「ゴシック・アンド・ロリータ」。 ↩︎
- その代わり、サブカルチャー、ポップカルチャー、美術、文学に、そうした痛覚に対して鋭く切り込む表現を多く見出し、早くから影響を受けてきた。 ↩︎
- 音ひとかたまりを外側からでなく、内側から捉える。音の中に入り込むようなイメージである。 ↩︎
- 山根明季子「音を視る」(日本アルバン・ベルク協会,前傾書, 2008年)。 ↩︎