インタビュー 小倉美春 

インタビュー 小倉美春 

2023年6月10日

小倉美春

現代音楽との出会い

———音楽はいつ頃始めたのでしょう?(小島)

小倉美春さん(以下、小倉): 2歳半のときにピアノとリトミックを始めました。絶対音感のトレーニングをしたことも覚えています。その後は、子どものための音楽教室に通ったりしました。母がピアノを弾くので、私にも習わせたかったようです。

———幼少期から、しっかり音楽に集中していたんですね。(小島)

小倉:どうでしょう、練習はあまり好きではなかったです。よく覚えているのは、幼稚園の終わり頃、ブルガリア民謡を通じて、調性がないものや変拍子に初めて触れたときのことです。当時は何も理解できていない状態でしたが、後に現代音楽の世界に拒否反応なく入れたことに繋がっている気がします。

———ブルガリア民謡というと、バルトークの作品ですか?それともフォークロアを採譜したような?(小島)

小倉:バルトークではなく、民謡がまとめられた曲集でした。それを教室の生徒たちで弾く会があって。

———それが現代音楽に繋がるような音楽体験になったということですね。音大進学を意識されたのはいつ頃ですか?(小島)

小倉:音大がどういうものか具体的なイメージはなかったのですが、特に考えずとも、それが自然な道に感じられました。環境に恵まれていましたね。中学生の頃は、音楽高校に行って大学で留学しようと考えていたのですが、結局、日本の大学に進学しました。

———留学といえば、中学校でフランス語と英語を勉強されていたとか。(小島)

小倉:たまたま第二外国語として、英語かフランス語を選択できる制度があったんです。英語は大人になってからも色々学べる機会があるだろうし、フランスで勉強したい気持ちもあったので、そちらを選択しました。結局フランスには行かなかったんですけど、後々、言語構造について考える上ですごく役に立ちました。

———大学に入る前は、どのような音楽が好きでしたか? (小島)

小倉:中学校三年生の時に「十年後の自分に向けた手紙」というのを書いたんですが、そこに書かれていた好きな作曲家はバッハとブラームス、演奏家はフルトヴェングラー。当時は、それほど現代音楽をよく知っていたわけではなかったです。高校生になり、現代音楽も演奏される廻由美子先生につくようになってから、好きな作曲家の範囲も広がっていきました。

———もともとはブラームスなどが好きだったけど、音楽高校の教育で現代音楽を知る機会があり、そちらにのめり込んでいったというような?(小島)

小倉:そうですね。ただ、私はブラームスの音楽は好きだったんですけど、弾くのが好きだったかというと、それはちょっと違うかな。というのも、ロマン派や古典派には抑えるべきルールがあり、私にはそれが重荷に感じられたんです。周りには、コンクールで受賞するような優秀な同級生たちがいて、そういう人たちと同じ路線を進んでも生きていけないのではないかという思いもありました。それで、高校に入って現代音楽を始めたときに「こんなにも自由になれるんだ」という風に感じたんです。私はソルフェージュが好きだったんですが、そういうものを自分が一番自由になれるこのジャンルで活かせないかなと。ある意味戦略的ではありましたが、ようやく自分が音楽をする意味を見出せたように感じました。

———ここだったらもっと自由にできるという天地をみつけた。 (小島)

小倉:ただし、本当は現代音楽にも抑えるべきポイントというのは当然あるんです。でも、当時の私に得られる情報は限られていたので、最初の頃はかなり適当に、自由に弾いていた。

 現代音楽のルールがだんだんみえてくると、今後は、それが実はロマン派の音楽にも応用できるということに気づきました。そこから、ロマン派を演奏する楽しさもわかってきた。

———情報という話がありましたが、ドイツで暮らす今と比べて日本での現代音楽の受容や演奏方法に違いはありましたか? (小島)

小倉:現代音楽に限った話ではないかもしれませんが、まず、本当の意味で「楽譜通りに弾く」ということを教わる機会が、日本ではあまりなかった印象です。ヨーロッパの先生方から、そういうことにプライオリティーを置いたレッスンを受けることが、新鮮に感じられました。今では違うかもしれないし、あくまでも「私にとっては」ということですが。

———現代音楽とロマン派のレパートリーとでは弾くときのルールや「楽譜通り」の意味合いも違うように思うんですが、二つはどのように繋がるのでしょう?(坂本)

小倉:現代音楽における一番の基本はダイナミクスやテンポ、リズムを守るというところにあって、とにかく精密に全部やらないといけないから、とても大変で勉強が必要になりますが、そのルールを守ることで得られる安心感みたいなものがある。これは論考に書いたスタイルの問題に関係しますが、ロマン派でもフレーズの持っていき方や書かれていないテンポの変化など「ここはこうするよね」といった慣習があって、それをおさえて初めて、自由に表現できるところがある。その点で通じるわけです。

 ただ、今度は「そのルールを守ることがすべてじゃない」という壁も出てくるんですが、そこも含めての面白さですね。これは作曲にもいえることで、なんでも好き勝手に書くより、ある程度自分で枠組みとかリミットを設けた上で書いた方が、いろいろとうまくいくと感じています。

———高校での現代音楽との出会いについて、どんなかたちで、どういう曲を知り、どういう風に練習や発表をしたのか、ということを伺いたいです。 (坂本)

小倉:学内のコンサートで、自由曲として弾く機会があったのが最初ですね。当時、ピエール=ロラン・エマールを尊敬しており、彼が演奏するメシアンの《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》のDVDをよく見ていました。そこから、とても難しい曲をあまりよくわからずに選んだのが始まりでした。メシアンは、初めてやる現代音楽としては、たいへんでした。今だったら慣れているので問題ないんですが、とにかく音が多いので、譜読みに時間がかかった記憶があります。

 それから高校二年生の後期試験の自由曲でリゲティをやりました。候補曲を何曲か出すんですけど、リゲティって書いたら先生がすごく喜びそうだなと思って(笑)。実はシューベルトをやりたかったんですが軽い気持ちでリゲティの名前も書いたら、なぜか本当にやる羽目になってしまい、それで《エチュード》から何曲かやりました。

 その当時、私はどう弾いても身体がうまく動かないというトラブルを抱えていましたが、それがリゲティを弾いたら全部治っちゃったんですよね。身体から本当に無駄な力が抜けた良い状態じゃないと、ああいう超絶技巧的なものは弾けないんです。この作曲家は私の身体の良し悪しを測るバロメーターになる作曲家だなと思って、継続して取り組もうと思いました。彼の作品がきっかけで、その後道が拓けたところがあります。

———《エチュード》は、何を弾かれたんですか? (坂本)

小倉:最初は六番の「ワルシャワの秋」と八番の「Fém(金属)」です。好きで選んだんですが、とにかく難しかった。

———リゲティについては論考のなかで、彼の作品の身体感覚が作曲のテクニックに結びついたという話もされていましたが、具体的にどういうものですか?(坂本)

小倉:左と右で違う人間みたいな感じです。実際的な問題として、左手と右手で相当に異なるリズムやアクセントを弾かなければいけなくて、そこはかなり意識的に分離しないとうまくいかないんです。自分にとっては真新しい感覚だったので、それを作曲に使えないかなと考えました。

ピアニストと作曲家

———もともとピアニストとしての教育を受けていた小倉さんが作曲にも関心を抱くようになったのは、何がきっかけだったのでしょう?(小島)

小倉:自分が作曲をするようになるとは、思ってもみなかったです。高校二年生の時に和声が必修で、その時教えていただいた石島正博先生に「作曲やってみない?」と誘っていただき、高校三年生の時に副科で始めました。始めて3ヶ月くらいした頃、ピアノ科の進級試験があって、ベートーヴェンを弾いたんですけど、どうもうまく弾けない。ピアノに行き詰まりを感じていたんです。いろんな先生にも相談したんですが、何か新しいことを始めることでそれを打破するきっかけになればという思いがあって、副専攻というかたちで大学の作曲科を受けました。

———そうすると、ただの副専攻というより、初めから演奏と作曲、両方やっていくぞという気持ちで?(小島)

小倉:そうですね。ただ、作曲は自分がどこまで行けるのか、そもそも何を目指せば良いのかも分かっていない状態ではありました。純粋に勉強として楽しかったのです。ピアノ科はほとんど必修の授業がなかったので、学部時代はほぼ作曲科の学生という感じでした。講義の科目は、作曲に関するものが多かったです。

————作曲の分野でも、当初から現代音楽を意識していたんですか?それとも、もうちょっとクラシカルなところから始めたのでしょうか?(西村)

小倉:クラシックな曲は最初の一作目しかなく、ブラームスのスタイルでソナタを書く練習を一度した後は、すぐに無調にいきました。それがよかったかどうかはわかないですけどね。スタイルを学ぶことの利点はたくさんあると思いますが、受験のこともあって飛ばしてしまいました。

———プロフィールによるとピアノでは競楽Ⅻ、作曲でも第81回日本音楽コンクール作曲部門(室内楽曲)に入選されています。どちらも、大学在学中ですか?(小島)

小倉:競楽は二年生の時で、日コンは研究科の一年生だったと思います。でも曲自体は大学三年生の時に書いた曲だったかな。当時は、コンクールもまったく受けておらず、日コンに入選される先輩たちも素晴らしい曲を書く方が多かったので、自分には届かないだろうなと思ってたんですけど。

———当時から、ピアノと作曲両方ともプロレベルでやっていこうという気持ちがあったんですか?(小島)

小倉:ピアノは大学三年生の時にオルレアン国際ピアノコンクールを受けて、運よくファイナルまで進めたことで道が拓けたところがありますね。作曲はずっと「どうやったらいいんだろう」という暗中模索です。今も作曲科の修士課程にいるわけではないので、これからどうなっていくのかなという思いがあります。

———ピアニストとしての身体感覚と、作曲家としての表現について伺えますか。とくにピアノ作品を書かれるとき、作曲家としては、奏者としての自身の身体感覚を何か越え出る何か新しい表現を試みたいという精神があるかと思います。(小島)

小倉:常に自分が見たことがない譜面を書かなければいけないという意識があります。それから、特殊奏法などではなく、ピアノの鍵盤から出る音でできることが、まだたくさんあるんじゃないかと感じているので、そこに挑戦したいですね。

 ピアノを弾ける作曲家がピアノ作品を書くときに問題になるのは、当の楽器を使って作曲するかどうかではないでしょうか。私は、ほとんどの場合、使わないで作曲するようにしており、それによって手癖を避けたり、いわばマテリアルに集中するというか、耳や手に流されないように気をつけています。

———目新しさやパフォーマンス的な要素よりも、やはり音に注目されて作曲活動をしている。(小島)

小倉:最近はそうですね。始めて数年は、パフォーマンス的な要素にも興味がありましたけど。そうした要素の強い作品にも素晴らしいものはあるし、特殊奏法でもうまくいっている美しい作品はもちろんあるんですが、一番良い音が出るのはやっぱり鍵盤ではないかと。自分が弾いている時にも、ピアノそのものの音色を活かした作品に出会えると喜びを感じます。

———小倉さんの作品を聴いていると、ピアノのための作品だけじゃなくて、他の作品もそういう考えを持って創作されている印象を受けます。(小島)

小倉:そうですね。これは、私が特殊奏法を使って書くのがあまり得意じゃないというのもあるんですけど。その奏法自体を使いたいからそう書くのか、それとも、それで出せる音が本当に必要だと思っているから書くのか、そのあたりの区別が自分のなかでうまくつけられないところがあって、それが苦手意識に繋がっています。特殊奏法をうまく使った素敵な作品には、憧れがあります。

———特殊奏法との関連でいうと《クレド Credo》が心に残りました。シュプレッヒゲザングを使っていますか?(坂本)

小倉:音程は書いてありますよ。私が歌の作品でよく使う「その音程を歌う時の喉の位置で喋る speak or whisper with the throat position that you get when you “sing” the notated pitch」という指示です。この楽譜の通り、音程をバッテン印で書いていて……。 音程は書いてあるけど、喋ってほしい、でも頭の中には音程が鳴っていてほしいということです。


《Credo》(2019)より

———曲中、ずっとこのバッテンで書かれているわけではなく、囁くようにやってほしいところだけで使われてるんですよね。たとえば、5分45秒あたりでこの奏法がみられますが、何を言っているのか気になりました。(坂本)

小倉:ソプラノがずっと囁いている部分ですね。自分なりに、歌うところと囁くところ、本来の典礼文の段落とは違う分け方をした記憶がありますが、理由は思い出せません….。ここは何か囁きじゃなきゃいけない理由があったんでしょう。

———論考には「信じるなんて簡単なことではないよね」という声を混ぜ込もうとしたと書かれていましたが、これは歌詞として出てくるわけではなくて、作品全体のメッセージですか?(坂本)

小倉:はい。歌詞では「信じる」と言っているけど「そんなことありえるの?」っていうある種の皮肉として捉えてもらいたかったんです。

———悪魔が歌うことによって?(坂本)

小倉:そうです。

———この方法は、小倉さん独自のものですか?特に何かを参照されたわけではなく?(小島)

小倉:誰かの楽譜を真似たわけではないです。実は、これも自分のピアノを弾く時の身体感覚の話と繋がっています。シュトックハウゼンの《ピアノ曲Ⅹ》はクラスターがテーマですが、そのなかに出てくるシからミの四度のクラスターで、Cisだけは弾かないでくれという指示があるんです。でも、自分の頭のなかでは、ものすごくCisが鳴ってるんですよね。弾かないと意識することによって、かえって鳴ってしまう。この歌の奏法は、そこから来ています。

———歌がないからこそ、歌が際立つというような。(小島)

小倉:頭のなかでは歌っているけど音程としては出てこない、ということです。喋りとか囁きを記譜する方法としては、当時の私が考えられるベストだったと思います。

———ピアノの作品《ラビリンス Labyrinthe》も面白く聴いたのですが、論考のなかでは、マテリアルがある種古典的で、シェーンベルクが嵌ったのと同じ罠に嵌ってしまったのかもしれないとありました。どのあたりが小倉さんにとって問題だったのでしょう。(小島)

小倉:ブーレーズが「シェーンベルクは死んだ」というテクストのなかで、シェーンベルクの《ピアノ組曲》などを分析していて、彼は結局十二音技法という新しいテクニックを発明したけれど、形式的には舞曲などに依拠しているわけです。新しいことをするときに既存の枠組みや聞き慣れた何かを利用することで、それが受け入れられやすくなるという利点がある一方で、それは本当に新しいものを提示しているのだろうか、という疑問が残ります。

  《ラビリンス》は、自分では音自体の斬新さがないと思っているんです。音自体の展開・マテリアルの展開はそんなにない。それによって、身体的なバリエーション、身体的な展開に集中できている面はあるんですけど。この曲に関しては「リゲティのスタイルだね」「あなた独自のスタイルではないよね」と言われたこともあって、たしかにそういう風に聞こえるかもしれないなと思います。

———身体的に面白い部分があっても、鳴っている音はリゲティの作品でも聴けるような普通の打鍵の音だという意味で、ある種マテリアルが古いということですか?(小島)

小倉:それもありますが、あの曲は基本的にセクションが変わっても使っているスケールが変わらないです。ずっと同じ音使いをしていて、最初の右手の五音がずっとグルグルしてる。身体的なものをテーマとして中心に据える上では、あのやり方で良かったと思うんです。ただ、聴覚的には、もっと発展性があった方が面白かったかなと。

———ピアノ以外の楽器でも、音自体の面白さを引き出そうとすると、楽器の研究なんかも必要になるかと思うのですが、その辺りはどうでしょう?(小島)

小倉:ピアノのようには他の楽器は知り得ないので、結局は想像力の問題になるとは思いますが、ピアノでいろいろとオケに加わって仕事をすることが、楽器研究に役立っています。現場で実際に楽器が鳴っているのを見ると、とても勉強になりますね。

 机の上で勉強することも大事ですが、それにしても自分で指とか手を動かしてできるものについては、できるだけやるようにしています。先日、アコーディオンの曲を書きましたが、初演者がアコーディオンの奏法の本を出されていて、それがすごくわかりやすかった。ボタンの図が右手は原寸大、左手は50%縮小といったように印刷されていて、自分で確かめられるんです。最近は、本やネットの情報が充実しているので、ありがたいですね。

手書きにこだわる理由

———身体という観点と、小倉さんが楽譜を手書きで書かれていることとのあいだの関係について、お話いただけますか。 (西村)

小倉:私にとっては、手書きの方が自分の鳴らしているものをダイレクトに書けるんです。パソコンを使う場合、パレットがある程度用意されていて、それを組み合わせるのが基本になりますが、手書きだと、自分の思うように、思い付いた瞬間に、自分の意思に近い感じで書ける。

 いくつか、図を用意してみました。手書きだとあまりグラフィックに囚われなくていいので、不均等なものが表現しやすいです。たとえば、こういう風にビブラートが大きくなっていく様子だったり、同じトリルでも書き方にいくつかバリエーションがあります。


《空間と密度についての考察》(2022)より

《Zerfließen…》(2022)より

———絵を描く感じに近いですか?(西村)

小倉:そうですね。絵を描く感じに似ているかもしれない。リズムや、前打音・後打音のバリエーションが浄書ではやりづらさを感じていて、こういう音形は手書きの方が早く書ける気がします。

《HITOGATA》(2021)より
《環》(2017-18)より
《環》(2017-18)より

———より直感的に?(西村)

小倉:空間的にです。たとえば、ここの後打音が八分音符いくつ分なのか、三連符の一つ分なのかとか、そういうことをあんまり考えなくてもいいというのがあります。

 これは浄書しようとして難しくて途中でやめてしまったものです。上が手書きの清書譜で、下が浄書ソフトを使ったものです。早々に色々と失敗しました。結局、手書きの方が速いなと思った記憶があります。それから、このグリッサンドの線をあわせるのは、手書きだと定規と定規で繋げば一発なのに、パソコンだとなかなかうまくいかない。

《HITOGATA》(2021)の清書譜(手書き)
《HITOGATA》(2021)の浄書譜


要するに、コンピュータで書くと結局何かしらの数値で表されるわけじゃないですか。これはモノオペラの楽譜ですが、ちょっとうねうねするところとか、感覚的に書きたいんです。慣れている人なら浄書ソフトでもできるのかもしれないけど、自分の場合は手書きだからこそできたと思います。

《Call~あなたとわたし〜》(2021)より

———楽譜は頭から順番に埋めていくんですか?(西村)

小倉:頭から書きますが、一回書き終わった後に順番を入れ替えたりとか、最初に書いたものが最初にならなかったりといったことは、よくあります。「本当にこれでいいのか」と清書の時にいろいろと考えて、一つずつ確認しながら書いてますね。大体の大枠は一回目に通して書いたときにできていても、清書で変わることもあります。

 パソコンを利用すれば、順番はすぐに入れ替えられるのですが、手書きだとなかなか。清書後、たとえば、初演の後などに修正するのが難しいところが難点ですね。ただ、私は手書き自体が個性的なグラフィックの一つだと思っています。たとえば、パスカル・デュサパンやシュトックハウゼン、マルコ・ストロッパも手書きで、私はその三人の楽譜が好きなんですが、みんなそれぞれ違うんですよね。彼らの音楽を理解する上で、すごく役に立つ気がしています。自分も手書きをすることによって、音楽を表したいとまでは言わないまでも、理解の助けになるといいなと。

———清書を通じて、小倉さんのなかでフィックスされていくものがある。アイデアとして浮かんでいたものが、清書の作業でニュアンスなどを書き込まれて、その書く作業によって再度整理されて、一つの作品として繋がっていく。(西村)

小倉:その通りです。手や身体の一部を通して音楽ができあがっていく感覚があります。自分の頭と譜面が繋がっていく。両者を繋げることができるのが手であり、直接書くという手段なのです。

 たまに清書譜ではなく、初稿を見ると面白くて。あまりデータでとってあるものはないんですけど、たとえば、この三台ピアノの曲《環》だと殴り書きみたいになっていて…。

《環》(2017-18)の初稿

———さきほどの仕上がったものに比べて、より図形っぽいですよね。(西村)

小倉:もともとこの曲は、視覚的なものやパーカッシブなものについて考えたかったんです。この曲は、出来上がったものと最初に考えていたことが大きく異なる曲だったので、初稿や第二稿を見るのが面白かったですね。ここまで変わった曲はあまり他にないかな。

———手を動かして、頭で考えていくうちに自然に?(西村)

小倉:そうですね、やっぱりうまくいかない時には、手が止まるんですよね。それが一つのサインにもなる。

———私が小倉さんに手書きの譜面を最初に見させてもらった時に感じたことは、作曲家から演奏家へのコミュニケーションの齟齬のなさです。譜面から受けるストレスが圧倒的に少なかった。(八木)

小倉:齟齬がないというのは、とても嬉しいです。私の楽譜は、情報が多すぎるっていう人もいると思います。とくに数年前までは、いろんなことを書き込んでいましたし。何をどこまで書くかというのはすごく難しいんですが、演奏する人の身体を思い浮かべることが、どう書くかということに繋がっている実感があります。

 たとえば、打楽器のパートを書くときに、ただ音を並べたら、もちろんうまくいかないので、自分でセットを書いて、バチを変える時間があるのかとか、そういうことを想像でやってみる。エアでもいいからとにかくやってみることを大事にしてます。やっぱりそこでストレスをかけちゃうと、お互いにとって勿体ない。それは演奏家として感じてきたことでもあります。

 もちろん、「この人だったらこれくらいできるかな?」とか、ちょっと無理なことを書いてどうなるか試すこともありますが、自分の曲が演奏される局面をどれだけイメージできるかが大事です。それも、単に外から見てるイメージじゃなくて、自分のなかで演奏しているときのイメージをいかに持てるかですね。

———イメージをきちんと伝えるための媒体として楽譜がある?(西村)

小倉:ただ、難しいのは、音楽は演奏されて初めて命が宿るのに、自分ができる仕事の95%は楽譜を書くところまでだということです。たとえば、私が死んだら楽譜しか残らない。100年後には、演奏のトレンドや、何を持って「楽譜通り」というかも少しずつ変わってくるでしょう。そこで、パッと見たときに「この曲を演奏したいな」と感じてもらえるような、いわばエネルギーを持った楽譜を書ければ良いなと思っています。

テクニックと美学

———論考には、テクニックと美学について、テクニックを優先するときもあれば、美学を優先するときもあるという話がありましたが、具体的に説明していただけますか?(坂本)

小倉:去年書いたピアノ曲《線の残り香 Sillage de lignes》の「C」のセクションを例に説明します。これが完成版で、初稿はこういう状態でした。曲の流れとしては、最初に中音域の伸ばしを中心に、高音域と低音域で似たようなカノン的な動きをしているセクションがあり、それがだんだん低音域に集束していきます。それが「C」までの経過です。

 初稿の「C」では、全体を見た時に右手と左手が大体同じような点的なカノンをしていて、真ん中に伸ばしがあるという構造です。それが最初に、自分の頭のなかで聴こえていて、書きたかったことでした。

 けれども、そうすると、最初のセクションとかぶってしまい、ある種、古典派の再現部的な聞こえ方をしてしまう。それは、この曲で私が意図するところではないと思ったので、右手を不定量的な書き方にして、新しい要素を加えました。そして、真ん中のラインを回帰させた。

 結果的に、左手と右手で違うことをやるセクションになりました。もともと、頭の中で聴こえていたものとは違うのですが、全体として見た時に構造や展開の面では良くなったと思います。

《Sillage de lignes》(2022)より

 構造にもいろいろな考え方がありますが、ここの角を曲がり、次の角も曲がったらまた同じところに戻ってきたみたいなことは、あまりやりたくなくて。たとえば、同じ場所に戻ってきたようでいてやっぱり違う丘を登っていたとか、どんどん渦を巻いていくとか、下に掘り下げていくとか、イメージは何でも良いんですが、とにかく、発展性がある構図を描きたいんです。その前提があった上で、じゃあ何が効果的なのかということを考えています。

———その「効果的」という判断の基準はありますか。(西村)

小倉:さっきの曲の場合は単純で、譜面上でまた似たものが来たなと感じました。あるいは少し矛盾するようですが、全部通した時にここはちょっと多いとか足りないとかを直感的に判断することもあります。「何かうまくいかない」と思ったときには、たとえば、二回やったものをどういう風に三回目として受け止めるかをちゃんと分析するとか、そういう作業が解決策に繋がったりします。

———その場合だと、最初は内在的美学にしたがって設計したものを、もうちょっとうまく展開させるために、テクニック的な改善策が選択肢として上がってくるということですか。(西村)

小倉:そういうこともありますね。

———西村:聴こえてきた音が出発点にあるけれど、「もっと面白い展開がありそう」となるとそれを更新していく?(西村)

小倉さん:そうですね。それから、今の話はすべて一度書き終わった後に全体をどうするかということでした。たとえば、最初の一ページ目を自分の書きたいように書いて「うまくいかない」「手が止まっちゃう」ということもあって、そういう時は、テクニック的にみてマテリアルが多すぎないかとか、最初のマテリアルがちゃんと育っているかということを分析的にみます。そうすることで、自分の聴きたいものをそのまま書くよりうまくいくことがある。一度立ち止まり、分析的に見直してから書くことで、その先にちゃんと進めるんです。

———最後に今フランクフルトで勉強されていることについて伺えますか?(坂本)

小倉:自分の学校外のプロジェクトに合わせてレッスンを受けています。それから、現代のレパートリーに将来的に組み合わせられそうな古典派とかロマン派のレパートリーを学ぶということをやってますね。現代音楽とロマン派や古典派を行ったり来たりするプログラムを組むのが好きなんです。それによって、古いものが新しく聞こえたり、新しいものと古いものの共通点がみえてきたりするので。やっぱりロマン派の作品などを弾くことも自分にとってとても重要だし、成長を続ける上でそういった勉強が不可欠だと思っています。

———先日リリースされたシュトックハウゼン作品のCDを聴きましたが、自分が抱いていたシュトックハウゼンに対する先入観を覆すようなカラフルな音色でした。こんな音色でシュトックハウゼンが弾けるのかと驚きました。(八木)

小倉:シュットックハウゼンの曲は緻密に分析できるし、そういう曲として解釈する演奏家も多いですね。それでもまったく間違ってないのですが、同時に、すごく音程感がある曲たちだと私は思っています。あまりそこを無視したくなかったんです。あるいは、ブーレーズにしてもすごく無機質というか、数学的に冷たく弾くこともできるんだけど、もっと生き生きとした音楽としても作れる。そういう方法で自分はアプローチしたいという風に思います。それは学部生の頃に日本のピアノの先生からよく言われたことでもあります。そこと「楽譜通りに弾く」ことの兼ね合いが難しいところですけどね。

———充実したお話をありがとうございました。(小島)

2023年3月4日
Zoomにて
インタビュアー:小島、坂本、西村、八木