《春告げ詩》
———はじめに、辻田さんが作曲家を志すことになった原体験のようなものについて伺いたいです。作曲はいつ頃始められたんでしょうか?(小島)
辻田絢菜さん(以下、辻田):初めて曲を書いたのは、都立芸術高校に入った後です。両親が音楽をやっていたこともあり、小さいときから音楽は大好きで、すごく興味はありました。自分の好きなゲームやアニメの音楽を聴き、それをピアノで一緒になぞるといったことが嬉しかったんです。ただ、私の場合はそれが作曲や創作ということに、すぐには結びつきませんでした。
中学校の進路選択のときに「音楽を勉強したいな」と考えるようになったものの、ピアノなどの演奏の専攻をいまから目指すのは厳しい。そこで「作曲科はどうか」という話になりました。父が作曲をしており、しかも都立芸術高校は母の出身校でもあったので様子もわかる。ということで、中学校二年生の夏頃から勉強を始めました。
まずは、入学試験に備えて和声課題、いわゆる「赤本」をやりました。あとはソルフェージュや楽典などですね。聴音なんかも全然勉強していない状態から始めたので苦労しました。それでもなんとか合格できて、そこから初めて作曲の課題に取りかかったという流れです。学年の最後には提出課題があり、たしか変奏曲だったと思います。それが最初の作曲といえるものですね。
———変奏曲はピアノですか?(小島)
辻田:ピアノだったと思います。作曲といっても、そのときは自分が思ったような曲は作れませんでした。そもそもイメージがあまりなく、よくある名曲のコピーみたいなものをなんとか頑張って作った感じで。自分の曲という感覚は全然ありませんでした。
———たとえば、ベートーヴェンやショパン、ドビュッシーみたいなものをなぞって…といったような? (小島)
辻田:そうです。自分のなかになんらかのイメージがありそれに対して手を動かせたという実感があったのは、高校二年生くらいだったと思います。とはいえ、そのときも全然うまくはいかなかったんですけどね。その後、高校三年生のときに書いたヴァイオリンソナタがあって「こういうのを自分の曲として書きたいな」というのが芽生えてきたのはそのあたりです。このソナタはそれまでの集大成のようなものになりました。
———その時期の作品は、いわゆる習作とこんにちの辻田さんの作品のあいだにあるのかなと思います。そのソナタとそれ以前の習作とで、どういったところに違いがあるのでしょう?たとえば、アニメーションの技法を応用する現在の辻田さんの作風がその頃確立されたのか、あるいはもっと初歩的なレベルの話なのか。(小島)
辻田:そのときは調性音楽を書いていたんですが、歌えるメロディーが書けるかどうかが大事でした。これはいまでもそうなんですけど。それが「自然にできたかな、自分らしいものが作れたかな」っていう実感が持てたのが、高校三年生くらいの作品になります。それ以前のものは、他人の譜面を他人の言葉を借りて喋ってるみたいな感じでしたね。このヴァイオリンソナタは《春告げ詩》(2006)というタイトルでSoundCloudにもアップしています。
そういえば、この曲は、つい先日亡くなられた野田暉行先生のレッスンで最初にみていただいた作品だったと思います。高校三年生のときに、東京藝大を受験することになり、高校の外で野田先生に師事し始めたんです。結局浪人したんですが。野田先生とのレッスンは、大学に入学する前に、調性音楽で自分らしい曲を書いてみる期間になりましたね。
———教育面でも活躍され、辻田さんはじめ若手の作曲家を育ててこられた先生ですね。レッスンのなかで印象深かったエピソードなどはありますか?(小島)
辻田:とにかく野田先生は怖いという話を聞いていたので、本当に恐縮しすぎちゃって。私が師事していた頃は丸くなられていたと思うんですけど、それでも当時は毎回ビクビクしてました。褒めてくださることもなかなかないんです。先生からの最上級の褒め言葉が「悪くはない」っていう。それがすごく印象的で、その話を他のお弟子さんにしても、みんな「そうだった」っていうんです。先生らしいなと思います。
先生は言葉のチョイスがおもしろかったですね。たとえば、フーガや和声を習っていたんですけど「なんかこっちの方がチャーミングじゃない?」っておっしゃるんです。いまになって振り返ってみると「なるほど、こういうことだったのかな」っていうことがたくさんあります。「こういう風にやったらもっと素敵だよね」ということを教えてもらっていたのかなって。「いま習ったらもっと色んなお話ができるのにな」と思います。その後、大学では小鍛冶邦隆先生に師事しましたが、また全然違った感じでしたね。
———レッスンの先生にはどのように辿り着かれたのですか。必ずしも紹介でたどり着けるとも限らないかと思います。それから、野田先生に師事していた時期が調性音楽を書かせてもらう期間になったということでしたが、当時大学に入ったら調性音楽はあまり書けないかもしれないというような実感はありましたか?(坂本)
辻田:父も藝大出身なので、そうしたコミュニティの内部にいたということは関係していますね。それから、野田先生と私の家が近かったこともあって、そうしたご縁で先生のところに行くことになりました。
調性については、やっぱり大学に入ると無調の音楽を書かなきゃいけないという暗黙の了解みたいなものはあって、話には聞いていました。私は最初から無調の音楽のイメージが湧き出てくるタイプではないので、浪人時代は時間に余裕もあることだし自由に作曲して、そうして作ったものを先生にみてもらっていました。ただ、大学に入っても調性音楽を書いている学生はいたと思いますよ。
「コレクショニズム」とアニメーション技法
———高校三年生で書いたソナタで、自分のことを語れているという実感を得たあとに、大学で現代音楽を勉強したことは、辻田さんのキャリアのなかでどのように捉えられるのでしょう?(坂本)
辻田:調性でようやく自分らしく書けるようになったかな、という実感があったけど、大学に入ったらそれをいったん脇に置いといて、なにか別の表現を考えなきゃいけなくなりました。最初の課題で二重奏曲を書かなきゃいけなくて、見よう見まねでミニマル・ミュージックみたいな要素を入れたりして。やってるうちにまた「私の作品ってこれでいいのかな?」ってなってしまう時期がやって来ました。
さらに嫌なことに、選ばれた作品だけが演奏されるコンサートがあるんですよね。そうなるとやっぱり選ばれたいって気持ちが出てきたりして。先生たちに「よく書けている」と評価されるものを目指すべきなのかなって考えてしまったり。波にもまれたわけです、途中で。
そのうちに、いわゆる「よく書けている」作品というものを書くのは私には難しいということを次第に自覚するようになりました。それで少しずつ「これは自分らしいものを作っていかなきゃいけないぞ」って思いはじめたんです。
だから、調性音楽のときと一緒で、自分の作品として出せるようになるために「とにかく手を動かしてなにか作らなきゃいけない、それを頑張ろう」と思ったわけなんです。でも、なにもイメージがない状態で曲を書くのは難しい。それで、いまもずっと使っている「コレクショニズム」というタイトルを考えました。最初は、たしか大学2年生の後期に提出する室内楽作品だったと思います。そこで「幻獣」という空想上の生き物をテーマにして、それに対して音をつけるということをしたんです。その後も、この「コレクショニズム」というタイトルでいくつか曲を書いているうちに「これだったら自分のなかにある音が自分らしく表現できるんじゃないかな」「現代音楽を自分らしい表現で考えることができるんじゃないかな」と思うようになりましたね。卒業までずっとこのテーマで書いていました。
———安宅賞も受賞されているので、大学でも評価されてらっしゃるんですよね。(坂本)
辻田:安宅賞、ありましたね。多分オーケストラ曲だったと思うんですけど、モーニング・コンサートというものに選抜されて、そのときに安宅賞をいただいたと思います。
———その「コレクショニズム」に自分らしさを見出したという点について伺いたいです。自分らしさと空想上の生き物とがマッチしたのはどういうところだったんですか?たとえば、周りの反応が良かったとか、作曲の手が進んだとか。(西村)
辻田:とにかく音だけのことを考えて作っていくのが、私のなかでは難しかったんですね。そのやり方だと自分自身に対する説得力みたいなものがなくて。幻獣みたいなものをイメージすることで、自分自身が納得できるような気がしたんです。ただ、高校二年生の時と同じで、はじめは「ちょっと自分らしいものが書けたかな」という程度。まだ全然で、手が進むみたいなものではなかったですね。あちこちしっくりきていないというか。それと同時に「ここからまだまだ掘り進められるな」という実感もありました。
———しっくりきてない感覚というのは、ご自身のなかのイメージに書法や技法の方がまだ追いついてない、そういうズレのようなものですか?(原)
辻田:そうですね。そういうズレもあったと思うけど、一言でいえば「カオス」です。これはいまでもずっと思っていることですが、どう整理すればいいのかをもっともっと考えなければいけないと。もう最高潮にぐちゃぐちゃって感じでしたね。
———メロディーやハーモニーの進行、リズムなど、色々とパラメータはあると思うんですが、たとえば「音色の操作がうまくいかなかった」というような特定の不満というよりは、全体的にぐちゃぐちゃしてしまった。(原)
辻田:そうですね。「この題材だったらここの質感はこう」とか、そういうことをやりたかったのに全然できなかったんです。自分でも「ぐちゃぐちゃだ」って思いながら作ってました。
———アニメーションの手法の応用といったことは、そうしたぐちゃぐちゃとしたものを整理し、筋道を立てるうえで役に立ったわけでしょうか?(原)
辻田:そういう面はかなりあると思います。やっぱり何かテーマや対象があって、それに対してどう考えるか、という方が私にとっては作りやすいんです。
———論考ではアニメーション技法についての書籍を参照されていましたが、あの手法は「コレクショニズム」のシリーズを作っていく過程で取り入れられたのでしょうか?(原)
辻田:そうです。アニメーションの技法を使ったのは、たしかNHKからの委嘱作品について考えていたときです。なにを書くか最後の最後まで悩んで手をつけられないでいたんですが、友だちと行った「ディズニー・アート展」でディズニーのアニメーションの技法を詳しく紹介して、それを実際に色々なかたちで見せてくれる展示に出会ったんですね。2017年だったかな。それで「これ、面白いな」って思ったんです。
たとえば、さっきの幻獣でいうと、当初は動きのイメージが考えられていなかった。そこで、仮にアニメーション的に考えるなら、なにか対象のイメージに動きをもたせて、それに音をつけることができそうだなって気づいたんです。なんらかのイメージをテーマとして持つというところから進化して、動きを持ったアニメーションのようなものになった、そういう感じですかね。さっき言ったような幻獣の質感を音色で表現するにしても、そこに動きという要素が加わったとき、自分のなかでは音楽を整理するためのきっかけや手がかりが増えたように感じられたわけです。
———いまの「動き」という点に関連して、辻田さんの作品を念頭に置きながら「コレクショニズム」という連作のタイトルを考えると、論考にあったように「オブジェ」としての音をコレクションして、その一つ一つに動きを持たせるようなイメージがあります。アニメーション技法を応用した操作を着想したのが2017年とすると、初期の「コレクショニズム」には、また別の意味合いがあったのでしょうか?「コレクショニズム」は辻田さんの創作を象徴するタイトルかと思うんですが、辻田さんにとってどういう意味があるのでしょう?(小島)
辻田:たしかに最初に書いた頃と、いまとでは意味合いがちょっと違っているかなという部分もあります。ただ響きを「オブジェ」としてみているというのはあまり変わってはいないんですけどね。いまの方がオブジェが生き生きしているかな。
———昔の方が彫刻みたいなイメージでしょうか?論考には「人間臭さからの脱却」みたいなお話もありました。生命感が取り去られたようなオブジェなんだっていう。(小島)
辻田:幻想的な世界とか幻獣とか、そういうものは好きなんですけど、たとえばギリシャ神話だと奪い合いみたいな側面があるじゃないですか。あんまりそういうところには興味がなくて、ただ謎の生き物がいるっていうそのシュールな状態の方に関心があるんです。その意味で、なんらかの無機質なイメージのコレクションのようなところはあるかなと思います。いまの作品の方が生き生きしてしまっているにしても、もともとのシュールな状態からはあまり離れたくないんです。
———「コレクショニズム」というタイトルに関しては、先日のシンポジウムの際に「蒐集癖」というような言葉も出ていましたよね。僕は「プライベートなもの」や「私的なもの」というニュアンスがあるのかなと思って聞いていました。さきほどおっしゃっていたような、鉤括弧付きの「よく書けている」譜面って、どちらかといえば「パブリックなもの」というか「みんなの共通認識・お約束事」みたいな側面があるじゃないですか。それとは別様の方向性として、辻田さん自身が私的に関心を持っているものを蒐集したのが「コレクショニズム」なのかなと考えていたんですが。(原)
辻田:たしかにそういった「私的なもの」という側面はすごくありますね。もともとプライベートかパブリックかということにフォーカスして「コレクショニズム」というタイトルを付けたわけではなかったと思うんですけど、いまのお話を聞いて「なるほど」って思いました。この言葉の意味の捉え方が、今後自分のなかでも変わってくるかもしれません。
私は多分「パブリックなもの」にとても憧れてはいるんですけど、なかなかそうはできないっていうところがあって。そこはもうコントロールできない自分の個性なんだろうなと思っています。「パブリックなもの」とそうじゃないものを比べると、どうしても後者の方が弱い感じがするというか、「よく書けている」という評価にしてもそうですけど、前者の呪いのようなものがあるなってことをずっと考えてきました。でも最近はそういう私的なことの方がむしろ重要なんじゃないかなって思うようになりました。
「自分らしさ」と「人間臭さからの脱却」
———ここまでのお話と関連して、論考には、たくさんの人が関わるオーケストラによって作曲家の個性を霧散させるというような話があったと思います。個性をできるだけ排除しようとする行為を仮に公的なものとするならば、いまの私的なものの話とはやや矛盾しているようにも思います。どういう力学が辻田さんのなかで働いているのでしょうか?(西村)
辻田:それが私のなかでは矛盾はしてないんですよね。たとえば、オーケストラの奏者の人たちが演奏で介入してくれる余地がないと、一人で喋っているようになっちゃいそうな気がして。あまりに自分らしいものだと「受け入れてもらえるかな」っていう気持ちも働くし。自分らしい言葉なんだけど、それを無理に押し付ける感じにはしたくない。そういう気持ちからくる言動なんですよね。
———先ほどのアニメーションの手法を応用することで、誰かに言葉を聞いてもらえるというか、ちょっとすっきりする感じが出てきたりとか?(西村)
辻田:他の人に共感してもらえるとやっぱり嬉しいって思うことはあるし、アニメーションのイメージがその手助けになっている部分はありますね。
———シンポジウムでも「普段の手法を使わないと自分じゃなくなりそう」みたいなことを仰っていたのが印象に残っています。(西村)
辻田:論考でも「自分らしさ」という言葉は何度も使っているから、なにかあるんでしょうね。私自身もうまく説明できないですけど…。どの曲を書く時も、自分らしいものはなにかなって考えてます。「これだったら別に私が書かなくても他に書いてる人がいるよな」というラインはどうしても超えなければいけなくて。それがいつも苦しみでもあるんですが。
———個性の霧散という話は「人間臭さからの脱却」とも繋がるところですね。この点については演奏技術との関係からも考察されていて、そこに「友人からヒントをもらった」と書かれていたんですが、エピソードを交えてお話を伺えますか?(小島)
辻田:これはですね、「人間が演奏するからにはエラーは必ず起こるけど、それをどこまで許容するか、どこでラインを引くかは色んな風に考えられるよね」みたいな話を友人がしてくれて「なるほどな」と思ったんです。「人間臭さからの脱却」といっても、完全にコンピュータにやってもらうのでは全然意味が違ってきてしまう。私は、人間のエラーはあっても全然良いと思っています。ただ、あまりにぶれちゃうと別物のようになってしまう。たとえば私の作品では和音が大事でそこは体幹というか軸みたいなものなんですが、それが無視されると無重力状態のようになってしまう。そうならないラインを、演奏者の限界を見極めたうえでどのように引くか。そこは私が引き受けていくべきところで、いまの課題かなって思ってます。そのラインを見極めるのは結構難しいんですよね。学生の時には、それでよく怒られました。
———エラーが起きすぎるということで?(小島)
辻田:そうです。エラーというか「これは無理でしょ」っていう。もう本当に「すみません」としかいえないんだけど。そのラインはもっと意識的に見極めないといけなくて、さらにいうと、そこをメインに考える作品があってもいいのかなと思っているんです。
———世のなかにはわざと難しく書いてミスを誘発するような作品もありますよね。許容できるエラーのラインを見極めることをメインに考える作品っていうのは、具体的にどういうことなのでしょうか。たとえば、弦の人が全体のなかで一人だけ間違うのと、管の人が音を間違えるのでも違ってきますよね。あるいは、プロフェッショナルとそうでない演奏者とでも変わってくるかもしれませんし。そのあたりは演奏者として気になりました。(坂本)
辻田:オーケストラもそうではあるんですが、どちらかというとソロとか人数が少ないもののことを考えています。
音楽として大事なところがどこかが伝わるような曲を書かなきゃいけなくて、演奏してくれる人にそれがわかってもらえれば、変なことにならずにうまくいくかなって。繰り返しになりますが、たとえばピアノの曲などで、私の曲では和音が重要なので、和音はしっかり守って弾いてほしいんだけど、それ以外のところでちょっとよろめくだったりは問題ないというか。それをさらに発展させていくなかで、「ギリギリいけるかどうか」みたいな限界を見極めて作品を書くことと「人間臭さからの脱却」の話がうまく結びつかないかなと。そういうことを考えさせるような作品をつくりたいのですが、具体的にどのように音に落とし込めば自分らしく作れるかのアイデアはまだ出てこないので、そのあたりが課題というか、もっと考えられるかなと思っているところです。
———辻田さんの曲を聴くと、音が人の手を離れて自在に遊んでいるような感じの印象を受けることがあるのですが、それは「人間臭さからの脱却」という話にも繋がっているのかもしれないですね。辻田さんの音楽のある種の「風通しの良さ」のようなものを考えると、さっきおっしゃっていたような余白やエラーをどう考えるかという問題は重要な気がします。(原)
辻田:うん、そうだと思います。私にとって「人間臭さ」には「他人に押し付ける」という意味が含まれていて、「他人に押し付ける感じにならないと良いな」という気持ちが私の「自分らしさ」の一部になっているのかな、ということを今日話していて考えました。だから「自分らしさ」を考えることと「人間臭さからの脱却」は矛盾してなくて、そこに他人が入ってくる余地やエラーの許容の話も繋がってくるのかなと思いますね。
———論考のなかでは無機質という言葉を使われてましたが、意図されているのは非人間的に共感を跳ね除けるようなものというよりも、たとえば「私はこんなに怒ってて、それを音楽に込めたから演奏者も観客も一緒に怒ってくれ」とか、そういうことはしないというような……。あるいは自分の気持ちを滔々と一人語りするような音楽ではないとか、そういう意味での人間性からの脱却ということですよね。(小島)
———疾風怒濤の精神が受け入れがたいという論考の話も腑に落ちました。(西村)
辻田:疾風怒濤に関しては、そういうものが別に悪いわけじゃないんですよね。全然嫌いではないんですが、ただ自分ではなかなか…。私がやると多分「狂気の絵面」みたいになっちゃうんですね、これが。笑いながら怒ってるみたいな。とにかく、自分とはちょっと合ってないという感覚があります。そこを無機質って表現すると、もしかしたら伝わりにくいかもしれないですが。
———これまで、あえてその人間臭さに突っ込んでいこうみたいなことはなく、ずっとそこからは距離を取るような感じだったんですか?(西村)
辻田:もしかしたら「出せない」の方が近いのかも知れないです。固執しているわけでもないんですが、裏テーマみたいな感じで、常にどこかでこの問題について考えてきた気がします。
「委嘱新作について」
———12月24日開催の「第一回作品演奏会」に向けて「横」というテーマで、辻田さんの普段のキラキラしたハーモニーのある音楽とは少し違った音楽をテューバソロのために書いていただくことになっていますが、どういう反応が起きそうですか?今回は、一緒にシンポジウムで考えたとはいえ、いわば外からテーマを押し付けられたようなかたちになるわけですが。(小島)
辻田:いま、結構苦しんでいます。9月中か10月頭くらいにはかたちにできたらと思ってやってるんですけど、まだそのラインを越えられていない状況です。普段の自分から出てこないものに対して作るっていうのは、面白いところでもあるんですが…。
———先ほどの「自分らしさ」との関係でいうと、感触はどうですか?(小島)
辻田:いまはまだ見つけられておらず、どうしようかなという状態です。いつもと違うテーマをもらって、折角だったらなにか新しい「自分らしさ」を見つけたいなと思いながらやるんですけど、どうしてもいつもと一緒になっちゃうときもあったりして、それで悩んでますね。
———今回書いていただくものは、いわゆる無調を念頭に置いた「横」の音楽ですが、キラキラした素材で非人間的なものを創作してる辻田さんが、今回、普段通りではない音楽を作るとなったとき、ともすれば無難なところに落ち着いてしまうような可能性もあるかなと思うんですが。(小島)
辻田:これは先日のシンポジウムのときに桑原ゆうさんが似たようなことをおっしゃっていて共感したところでもあるんですが、私は「横」というとなにか押し出そうとするエネルギーみたいなのを感じることが多いんです。このイメージを掘り下げれば、私が普段書かない感じの内容になりそうだなと思っています。ただ、問題はそれをどういう風に捉えるかというところで、それをいま色々と考えているところです。
チューバは吹奏楽器、つまり空気が押し出されて音が鳴るわけですが、その音は喋り声に近くて、すごく人間っぽく感じられるところがある。けれど、そうじゃない方向に私のなかでイメージを変えられたら…。それができたら自分らしくなるかなって思ってます。まだ全然うまくいってないんですけどね。
———とても楽しみです。最後に読者の方々に向けてメッセージなどいただけますか?(小島)
辻田:自分でもまだ頭のなかが整理できていない状態で書いているなという自覚があって、それがコンプレックスでもあり、自分らしいところでもあるんですよね。
毎回なにか新しいことにチャレンジしないといけないという使命感は持ちつつも、いつも「うーん…」って悩みながら作っています!ということをお伝えしておこうかな。
———本日はありがとうございました。(小島)
2023年9月19日
Zoomにて
インタビュアー:小島、坂本、西村、原