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並行していた二つの関心
——論考によると、10歳ぐらいからフランス近代の芸術音楽に惹かれ、同時に徐々にサブカルチャーに目覚めていった。その並行していた二つが現在の創作では融合しているということですね。まず、そうした音楽遍歴について伺えますか?(小島)
池内奏音さん(以下、池内):私は幼少期からピアノを弾いていたんですが、ベートーヴェンやショパンはそれほど好きにはならず、まず惹かれたのがドビュッシーやラヴェルといった近代フランス音楽、それからプロコフィエフなどのロシア音楽でした。当時は「不思議な世界」という感じがして、それに憧れたんです。
作曲は小学生の時に始めました。とはいえ、私は作曲そのものよりも、「なんでこの曲を良い曲と思うんだろう?」ということに興味がありました。「あ、ここでこういう終止が使われているから、こんな雰囲気になるんだ」とか「ドリア旋法で書かれているから、メジャーとマイナーの狭間のような響きがするんだな」とか。そうした分析的なことを勉強したいという気持ちが子どもの頃からずっとあったんです。なので、高校二年生の冬頃に音楽大学に行こうと決めたときにも楽理科と迷いましたが、幅広い勉強がしたくて、作曲科を選びました。ピアノに限らず色々な楽器や音楽理論のこと、ジャンルにしてもクラシックに限らずポピュラーやジャズ、様々な国の音楽など、広く知りたかったんです。
——大学ではアコースティック主体の現代音楽を書かれていたそうですが、ボーカロイドと交差する創作を始められたのは、いつ頃からですか?(小島)
池内:DTMを初めて触ったのは大学2、3年生の時の作品で、ボーカロイドを本格的に取り上げたのは2023年の個展が最初です。 小学生の時にボーカロイドやDTMによる作品を聴くことにハマり、小中高大とずっと趣味で聴いてきましたが、自分の創作とは切り離して楽しんでいました。二つがシームレスに繋がることになるとは思ってもみなかったですね。
——冨田勲や渋谷慶一郎といったようにボーカロイドを用いた作品の先例がある中でも、やはりそういう領域に一歩踏みだすのは、それなりの決意が必要でしたか?(小島)
池内:そうですね。周りは、海外のコンクールを目指すとか、頑張ってオーケストラの委嘱をもらうとか、そういうタイプの学生が多かったので、悩みはありました。個展を開いた2023年はちょうど修士課程を修了した年で、結果的に解放されたようなかたちになりました。
ボーカロイドを一つの楽器として扱おうと考えた
——ボーカロイドを用いた作品というと、初音ミクのようなキャラクターのイメージが先行する場合も多いと思いますが、池内さんの場合は、ボーカロイド特有の音のテクスチュアというか、どちらかというとマテリアルとして創作に取り入れているという印象を受けました。(小島)
池内:おっしゃる通りで、個展で演奏された二曲《Cold×Code》と《BUG BOЯDEЯ》では、ボーカロイドを一つの楽器として扱おうと考えました。もちろん、サブカル大好きで、「ボーカロイド文化やその要素を現代音楽に反映させようと思ったら何ができるんだろう?」ということも同時に意識はしました。これまで現代音楽を作ってきた自分の創作とそこまで遠くないところで、ボーカロイドを一楽器として用いようと思った結果、ああいったバランスの曲が生まれました。
——ボーカロイドのどういったところに音響素材としての面白さを感じますか?(小島)
池内:最新のボーカロイドは、「どれだけ人間の歌に近づけられるか」という視点で開発されていますが、私は機械的な音の印象にも関心があって、巡音ルカや初音ミクが歌ってくれるのであれば、あえてそうした部分を残したいなと思っています。人の声とボーカロイド、どちらにも良さがあるので、その二つを対比させる曲を書きたいという構想もあります。
それから現実的なところで言うと、ボーカロイドは正確に歌ってくれるというのがありますね。もちろん作品にもよりますが、例えば《Cold×Code》は、実際に人間が歌ってみて現場でどうなるか分からないというライヴ感よりは、デジタルで正確な声の方が作品の性質に合っていると感じています。そういうケースでは、ボーカロイドを使うことに意味があるのではないかと。
——音の選びとしては、いわゆる現代音楽と区分されるような音を選ばれているかと思うんですが、そこにはどのようなこだわりがありますか?(小島)
池内:ポピュラー音楽的な音については私じゃなくても書ける人がたくさんいると思っています。なので、私が一番得意で、かつ、あまり他に誰もやっていなさそうなものということで、いまのような作風になっています。私は、現代音楽の系譜や文脈にいるものの、そのなかではだいぶ分かりやすい、ポップなタイプの作曲家だと自分では考えています。
——そうしたポップな性格や、分かりやすさを担保しているものは何だと思いますか?(小島)
池内:色々と考えられますが、一つはビートですね。ビートがあると、それが理解の指針になるので。「変な音がいっぱいあったけど、なんかノレた」と言われることがよくあります。使っている音は三和音とかセブンスの和音で、縦だけで見ると綺麗な音が並べられているので、それも一つの要因ですかね。ただ、機能和声の場合、ドミナントのあとにサブドミナントに行ってはいけない、トニックに行かないといけないとか、横の繋がりが強いですが、私はそれを取り払ってしまって、また別の理論で組み合わせて、並べています。
——そういったご自身の作風に至る上で影響を受けた作曲家はいますか?(小島)
池内:大学生の頃、アカデミックないわゆる現代音楽のなかで好んでいたのはルチアーノ・ベリオ、それから存命の作曲家だとウンスク・チンやミカエル・ジャレルなどです。三者三様ですが、私のなかでは、みな能動的に前進するタイプの曲を書く作曲家という印象です。特にウンスク・チンに関してはジョルジュ・リゲティからの系譜で、ビートがありますよね。彼女からはいまでも影響を受けています。
——ポピュラー音楽についてはいかがですか?(小島)
池内:色々なものを摂取しているので、それが滲み出ているとは思いますが…。私はオルタナティヴやアングラのロックバンドをよく聴いていて、そういう音楽の変拍子やリズムの使い方に憧れています。例えば、四拍子の四拍目をクッと半分にして、八分の七拍子にする。そういう縮め方をすると、観客の方も前のめりになるんですよね。私はボカロPでもあるsasakure.UKさんが仕切っている「有形ランペイジ」というバンドがすごく好きで、このバンドは、ボカロの曲を生演奏でやるというコンセプトなんですね。機械がやることをそのまま人力でやろうとしていて、ベースは四拍子だけどそこに七拍子を乗せたりする。構造はシンプルなんだけど、音にするとカオスな感じになります。siraphというバンドも好きで、このバンドはよくドラムの拍子とキーボードや歌の拍子を変えるということをやっています。そういうロックの人たちの技を参考にしたりします。
音質の距離を広げて対比を作る
——大学時代には悩みや迷いもあったとのことですが、当時の話を詳しく伺えますか?(原)
池内:コンクールで活躍したり、委嘱を受けたりする周囲の人たちに憧れて、私も学部の後半には「コンクールに出すぞ」という気持ちを持っていました。色々な先生方に作品を見せると「技術もあるし、もうちょっとで賞を取れるよ」というようなことを言ってくださるんですよ。でも、私は将来自分がそういう場所にいることが想像できなかったんですね。それに、仮に何かしらタイトルが取れたとして、その後も芸術音楽をずっとやっていけるのかと自問した時に「ちょっと違うかもしれない」と感じていました。特に、大学院の時は、ずっとモヤモヤしていましたね。進学したのがちょうどコロナ禍だったというのもあるんですが。
そんなこともあって、大学院の時はオペラの作曲に集中していました。オペラはアカデミックな分野からも評価してもらえるし、私にとってはエンターテインメントの要素が強いので、それで自分の好みと周りからの評価とのあいだでバランスをとっていました。
——江戸川乱歩の小説を原作にした《押絵と旅する男》ですね。この作品の表現上の工夫についても伺いたいです。(原)
池内:一般にヴァーグナー以降のオペラでは、ライトモチーフが多用されますよね。ところが、私はそのライトモチーフというものがなかなか記憶できなくて、覚えられていないままの状態で変奏されたりするので、訳がわからなくなってしまうんです。私の記憶力と情報処理能力がオペラの時間の流れに追いつかないというか。
なので、私は旋律とか和音のような難しいものではなくて、もっと直感的に分かるものをモチーフにしようと考えて、音質をフィーチャーすることにしました。金属的な響きとか、ザラザラした感じとか。原作の乱歩の小説では、鏡やレンズのような金属的で硬質なものがテーマになるので、そういうものが出てくる場面では、大胆に金属音を入れようと。安直と言えば安直なんですけど、もし自分が観客だとしたら、それくらいダイレクトで分かりやすいものじゃないと覚えられないので。反対にそういうものが出てこない場面では、弦楽器の擦る音などを使って、意図的に音質の距離をガッと広げることで対比を作るということをしました。
——ライトモチーフは、何かを暗示したり、登場人物が回想していることを表したりと、抽象度の高さが魅力でもあると思うのですが、池内さんの場合、音質にそういう機能を担わせたりもするのですか?(小島)
池内:なきにしもあらず、でしょうか。 例えば、セリフとして「レンズ」や「鏡」が直接的に出てこないところでも、金属音を少し入れてそれをにおわせるということはありました。ただ、それも隠さずにやるので、分かりやすいと思います。なにかそういう分かりやすいものを示さないと、現代音楽はただでさえ難解と思われているので、鑑賞者も迷子になってしまうのではないかと。
日本語でオペラを書くことの難しさ
——今年2026年には、太宰治の小説を原作にした新しいオペラにも取り組まれるそうですね。やはり、日本語の作品に魅力を感じられているのでしょうか?(小島)
池内:私は、日本の文学、特に大正から昭和初期くらいにかけての文学が好きなんです。それを周囲の方も知っていて、今回、太宰治の「葉桜と魔笛」という作品で書いてくださいというお話をいただいたんです。
ただ、日本語はすごく扱いにくいんですよ。ドイツ語だったら「sch」とか「t」とか「za」とか無声音がいっぱいあるけど、日本語はそういう音が少なくて。論考にも書きましたが、ただ言葉を並べるだけでは、どうしてもつまらなくなってしまう。音楽に日本語を乗せるということに関しては、ロックやポピュラー音楽の人たちがすごく上手だと感じています。ラップの人も綺麗に韻を踏んだりして、日本語という平坦な言語でも、リズミカルに、音楽として面白く日本語を喋っていますよね。そういうものがとても勉強になります。
——脚本を書かれる際にも音楽化することを考えながら構成していくんですか?(原)
池内:前回の《押絵と旅する男》に関して言えば、まず小説をどう舞台作品にするかがたいへんでした。 全体の構成をどうするかもそうですし、セリフや会話以外の「地の文」、状況説明の文などをどのように落とし込んでいくかということですね。オペラの場合、ほとんどをセリフで回していかないといけないので。当時は、そういうことを必死に考えて脚本を書いていました。日本語の難しさというのは脚本を書く時点では意識していなかったんですが、いざ音楽を書き始めてみたら「まずい、これはつまらないぞ…」と思ったというのが正直なところです。音楽を書いていて、「あ、ここはちょっと言葉が足りないかも」と考えて、脚本に戻って変更することもありました。
——オペラを作る際、演出家とどのようなやりとりをして、どういった役割分担で制作されるんですか?(坂本)
池内:新作の演出担当の方は、前回と同じ方ですが、「この場面は演出に投げたいんですが、どこまでできますか?」といったことは相談します。その方は「何でもやるよ」というスタンスで、いま言ったように脚本に戻って変更する際にも、報告さえしておけば、あとは演出の方で何とかしてくれる。こんな無責任なことが許される現場はなかなかないと思うので、演出の方には「すみません」とともに「ありがとう」と思いながら、絶大な信頼を寄せて一緒に作っています。
——何か今後、オペラ化してみたい作品はありますか?(原)
池内:乱歩は、ライフワークとしてシリーズ化したいくらい好きですね。それから似たようなテイストにはなりそうですが、谷崎潤一郎もオペラに向いているのではないかと思います。近代の小説は著作権が切れているから扱いやすいという実利的な面も大きいんですが、時代にとらわれず、現代の小説などにも取り組んでみたいですね。
笙が持つ意外な強み
——池内さんは笙の演奏家としても活動されていますね。日本語が話題になりましたが、日本の伝統音楽の音についてはいかがですか?(原)
池内:笙の演奏については、学部の三年生の時に、笙を使った曲を書きたいと思い立って、大学で雅楽を教えている先生の門を叩いたのが最初でした。楽器のことや運指、吹き方などを色々習い、練習しているうちに、その教授から雅楽のイベントの際に招集がかかるようになりました。笙を演奏している人自体の数がそれほど多くはない上に、西洋の音符が読める人も少ないので、例えば、誰かが武満徹の《ディスタンス》なんかを演奏するときに呼ばれるようになりました。
——笙のどのようなところに魅力を感じますか?(原)
池内:笙のあの特徴的な響きは西洋のオーケストラにはないので、それが魅力ですね。先日、大学の大きなホールで演奏する機会があって、笙はピアノとかサックスといった楽器に比べると音量は出ないので「大丈夫かな?」と心配していたんですが、ホールの隅々まで響くので、びっくりしました。小さなところで演奏してもうるさくならないし、大きなところでもちゃんと響いてくれる。意外な強みを知ることができました。
——池内さんの笙の作品にはどのようなものがありますか?(小島)
池内:《押絵と旅する男》のなかで使っていますし、ボカロを用いた《BUG BOЯDEЯ》のなかで、笙の音をサンプリングして、隠し味的に入れ込んだりしていますね。
作品そのものが持つ魅力を引き出す編曲
——池内さんはシェーンベルクの作品の編曲もなさっていますね。シェーンベルクもブラームスやバッハを編曲し、それを通して自らの音楽史のなかでの位置付けや過去との連続性を示していたわけですが、池内さんはどういう考えで編曲に取り組まれているのですか?(原)
池内:分析的なことに興味を持った小学生や中学生の時には、同時に作曲家がどういう人生を歩み、そこにどういう背景があったかというのを知ることが好きでしたが、最近はそういうものに全然惹かれなくなってしまいました。いまは、それよりも「作品そのものがどういう魅力を持っているか」ということに関心が向いています。例えば、先日《浄められた夜》を編曲しましたが、あまりシェーンベルクの作品ということを意識しないで、どう編曲して料理してあげたら、この曲が持つ力を引き出せるかということを考えました。
——具体的にどういう編曲をされたか伺えますか?(原)
池内:その時は、ヴィブラフォンとピアノに編曲してほしいという依頼でした。ものすごく難しかったです。まず、原曲は弦楽器のアンサンブルの曲ですが、編曲先の楽器がどっちも音を出した後に減衰する楽器でしたので、そこが一番たいへんでしたね。ドラマチックなメロディーをヴィブラフォンとピアノでどう歌わせたら良いだろうかとかなり悩みました。もう一つ大きな問題は、一本一本のメロディが絡み合う対位法的な曲を二人で演奏するとなったときにどうするかということでした。最終的には、一番聞こえてくるであろうメロディーだけを抽出して、あとは和声に徹してもらうということをしました。メロディーが3本以上になると、カオスになってしまいそうだったので、2本までにして、他のメロディーは抽象化・和声化して残す。それからドラマチックな性格はトレモロやアルペジオなどで演出するという方針で編曲しました。来てくださった方は「聴きやすかった」とおっしゃってくれましたね。
——今後《月に憑かれたピエロ》も編曲されるそうですね。(小島)
池内:まず、今年の秋に《室内交響曲》の一番を編曲します。これはまだ取り掛かっていないのでどうなるか全く分かりません。ヴィブラフォンはまた含まれるようですが、編成が変わるようですね。それから、もっと先の公演として《月に憑かれたピエロ》が予定されています。こちらも詳しくはまだ分かりませんが、アレンジというよりも再作曲というか、シアター化といって良いほどの規模の改作になるようです。
ジャンルの垣根を超えた、ボーダーレスな創作を
——新作オペラや新しい編曲作品など、待ち遠しい企画が満載ですが、最後に将来の活動の展望を伺えますか?(小島)
池内:まず、メインワークとしてオペラがあります。音楽という世界に閉じて、作曲家と演奏家だけで完結してしまうと、その世界の人しか聴きにきてくれませんが、オペラだと、演出家の方が芝居関係の人たちを、衣装の方がデザイナーの人たちを、舞台美術の方が美術家の人たちを呼んでくれたりします。そういうジャンルの垣根を超えた、ボーダーレスな創作が私のなかで一つの指針になっています。クリエーション自体は大変ですが、音楽だけだと出てこないアイデアもたくさん出てきますしね。オペラの脚本をいまは自分で書いていますが、小説家とか劇作家の方に書いてもらいたいという気持ちもあります。それから、オペラだけではなく、美術のライヴペインティングと一緒にライヴしたりとか、身体表現の方とも一緒に何かをやってみたいですね。そういう音楽の枠にとらわれない表現を広くできたら嬉しいです。
2026年1月26日
Zoomにて
インタビュアー:小島、坂本、原
