目次
- ◉《座敷童子の居着く部屋で ーハープとピアノのデュオのためのー》(2017)
- ◉《その犬は花咲かす灰に宿る for fl. 2vn. vc. perc.》(2018)
- ◉《愛文鳥の別れを知るために for 8Violas with wooden clips》(2020)
- ◉《Accordion : Open Me… ーアコーディオンソロのためのインスタレーションー》(2021)
- ◉《樹海になりたくて ーfor a vocalist and a percussionistー》(2021)
- ◉《ドミソの人たち for a pianist and a vocalist and a tubist》(2021)
- ◉《誰かさんの産声 ー8台のオグリフォンのための-》(2021)
- ◉《EPISODE》(2022)
- ◉《みみなり based on our obsessed ears》(2022)
- ◉《「ぴあのを好きでいてくれて、ありがとう」3人のパフォーマーのための》(2023)
- ◉《言葉のない世界で出会おう ー音を発することから起こされる「夜」の出来事ー》(2023)
- ◉《訥》(2023)※矢野かおる名義の作品
- ◉《交換楽記による小品》(2023)
- ◉《音楽さがし 玉川上水編》(2023)
- ◉《ジッキョー》(2025)
- ◉《Eat up, every last bit.》(2025)
- ◉《生前のバイオリン、こないだの人》(2025)
◉《座敷童子の居着く部屋で ーハープとピアノのデュオのためのー》(2017)
欧文タイトル:In the room where the Zashiki-Warashi has settled down
作品形態:個人作曲
編成:2台のハープ、プリペアドピアノ

その子は家の守り神。
いたずらをすることもあれば、幸福をもたらすともいわれる。
静かな部屋で2人、小さな小さな合奏。
その中であなたが不思議な音を聴いたなら、
それはひょっ
とすると、ここに居着いた座敷
童子のしわざか
も
しれ
な
い…
(出典:初演時プログラムノート)
◉《その犬は花咲かす灰に宿る for fl. 2vn. vc. perc.》(2018)
作品形態:個人作曲
編成:fl. 2vn. vc. perc

ある日転がり込んできた犬のことを、おじいさんとおばあさんは大層可愛がって育てた。犬は感謝の気持ちを示そうとするが、無残にも隣の悪いおじいさんおばあさんの欲に振り回され、乱暴に扱われ、そして殺されてしまった。 犬は、それでもなお、臼に宿って精一杯の気持ちを伝える。燃やされて、灰になっても。 その灰が風に舞い、枯れ木に花を咲かせた情景は、一体誰に何を思わせたのか。
(出典:初演時プログラムノート)
◉《愛文鳥の別れを知るために for 8Violas with wooden clips》(2020)
作品形態:個人作曲
編成:8Violas with wooden clips

2020年6月5日のちょうどお昼過ぎ、わたしの手の中で一羽の白文鳥が亡くなりました。
10年生きたので、人間でいうところの100才くらいのおばあちゃんでした。
彼女の単純そうで複雑なパーソナリティはわたしを振り回し、同時に、とても魅力的にうつりました。
年老いてなお常にまわりの環境に反応し続けていた彼女が、死を経て、呼びかけてすらなんの反応も示さなくなった瞬間に感じたものを、わたしは未だに説明できません。
こういうことは、どうしても自分の感情や想像で悲しんでしまいますが、
彼女が旅立つことを、別れることを、感情的ではなく、感覚的に形にしたいと思いました。
いつもは天国は信じていないけど、こんな時ばかりは、
いつか天国で、ペットと飼い主じゃなくて、人間と文鳥じゃなくて、メスとメスでもなくて、魂と魂でまた会いたいね。と祈ります。
最後に、このような情勢にも関わらずこうして作品を発表できるのは、今日まで関わってくださった全ての方のおかげです。この場を借りて感謝申し上げます。
そして、いつも作品を聴いてくださる皆様、ありがとうございます。
感想はどんな言葉でも(言葉でなくても)いいので、正直なものを期待しています。
それでは、耳を澄ませてごゆっくりお楽しみください。
※当作品はサラウンドな音響が中心なので、中央よりの席が個人的におすすめです。
また、視覚的に舞台と距離が近すぎる席はおすすめしません。
(出典:初演時プログラムノート)
◉《Accordion : Open Me… ーアコーディオンソロのためのインスタレーションー》(2021)
作品形態:個人作曲(インスタレーション)
編成:アコーディオンソロ

日本語に訳すとしたら、アコーディオン「わたしを開けて…」となるこの作品は、3ページの簡潔な指示書からなります。
奏者が操作すること、それに加えて観客自身が想像することで、その場に居合わせたすべての人がそれぞれの形でたったひとつのアコーディオンを開いていくことに参加し、それをひとりひとりが鑑賞する作品です。
全体は3つに分かれ、それぞれ違ったアプローチで上記のコンセプトをめがけています。
また、各部分の間には、あらゆる要素を自由に想像・予測させる空白の時間が存在します。
Ⅰ アコーディオンがほんの少しずつ開く様子の観察。音の想像。 Ⅱ 視覚を封じ、アコーディオンが開く方向へ音が過剰に移動する様子の観察。姿と動きの想像。 Ⅲ アコーディオンの姿(姿勢)の観察。アコーディオンが開く方向へのエネルギーの想像。 |
もちろん、観察/想像する内容はなにも上記の要素だけに限るわけではないでしょう。
それぞれが今ここにあるアコーディオンを思うことがこの作品の一番の要になります。
(出典:初演時プログラムノート)
◉《樹海になりたくて ーfor a vocalist and a percussionistー》(2021)
欧文タイトル:We crave to be with the sea of trees (AOKIGAHARA JYUKAI)
作品形態:個人作曲
編成:声奏者と打楽器奏者

彼らは樹海に憧れている。 それはおそらく、樹海の生と死の境目がマーブル状に入り混じった死生観をもった世界への憧れから。死が隔離されて考えられる現代日本社会では死ぬことができない(逆説的に、生きることもできない)と思っている。 せめてもの救いとして、彼らは、樹海の一部を持ち帰り、奏でることで樹海と繋がり、それを音楽的に発展させながら営むことで、自らもまた樹海の一部になれることを切望するのだ。人間のイマジネーションというフィルターを介した彼らの思い込みの樹海がそこに立ち現れる。そのイマジネーションの中で彼らは樹海になることができる。また、それは、樹海にそびえ立つ木が、日光に当たることを切望し、結果的には背が伸びすぎて 風に煽られただけでしなり、遂には倒れてしまうように、生きることを希求する際の切実さを含んだ盲目さとも通じてしまうのである。
*樹海とは、正式には青木ヶ原樹海という富士山麓の溶岩上にある広大な原生林である。
(出典:2021/7/7 初演時配布資料)
この作品は、声奏者である渡邉翔太が富士山の樹海の入り口の住民であること、またそれをきっかけに今年の3月30日に渡邉翔太の友人で打楽器奏者である茶木修平とともに3人で樹海散策を行ったところから制作が始まっています。
2人には作品完成前から、奏法のレクチャーはもちろん、即興や簡単な指示による演奏をしてもらってその演奏感覚についてヒアリングさせてもらったり、記譜についてコメントをもらったり、再び樹海へ素材集めに一緒に出掛けてくれたりと、とても多くの作業に協力していただきました。彼らの協力なくしてこの作品はありません。作品に深く関わってくれたこの2人による繊細な音の表現をお楽しみください。
※この作品は、アンプラグド、ひどく小さな音、完全な暗闇、奏者間の音によるコミュニケーション、演者が空気を読む音楽の要素を含みます。
その繊細さから、無神経な雑音が鳴らされると作品が死んでしまいます。ぜひ体験される際は、慎重な姿勢でご鑑賞ください。
(出典:2021/7/7 初演時プログラムノート)
◉《ドミソの人たち for a pianist and a vocalist and a tubist》(2021)
作品形態:個人作曲
編成:a pianist and a vocalist and a tubist

多分、ドミソの人たちにとってドミソは生来の中心音みたいなものなのだろうと思う。それに、彼らにとってドミソの枠は一般的なものより広い。例えば偉い作曲家や音楽の先生が当然のようにノイズやらなんやらと言ってドミソから除外してしまう音からもドミソを見出すことができる。かといって、この世の全ての調べをドミソと認識してしまうような大胆さはない。
よく考えれば、ピアノのCの打鍵音だって、アタックの音はCではないし、鍵盤を離せば残響はすぐ止むし、倍音には他の音も含まれるから残響を聴きつづけているとCの音は他の音に埋もれていくし、サスティンペダルを踏めば他の弦も鳴るし、でもそれを我々はまとめてCと認識するのだから、彼らの感覚はその延長線上に位置しているような気もする。
そういう意味でドミソの枠を踏み倒すこともなく、まさにはみ出してしまった者たちなのだろうと思う。彼らはそれを嘆いたり悲しんだりしているわけではなく、少なくともこの場ではそれがそうであることを許しあっている。ただし、譜面冒頭の言葉はもちろんこれらの意味以上のものを含んでいるだろう。
大事なことは、この曲の中では、彼らにとっては、ただのドミソを奏でて/聴いていて、ただ音楽をしているのだ。
(出典:作品についての制作資料より抜粋)
◉《誰かさんの産声 ー8台のオグリフォンのための-》(2021)
欧文タイトル:first cry of a stranger for 8 handcrafted spring drums
作品形態:個人作曲
編成:8台のオグリフォン

8台の大きめの手作りスプリングドラムを空間配置して上演する作品。このスプリングドラムは、初演時に奏者によって「オグリフォン」と名付けられた。
オグリフォンを抱えた奏者たちによって「今ここ」に音楽が生まれる瞬間が引き起こされる。演奏には、次のような音楽性のある行為が含まれる。まわりの音やリズムに反応し、返答のように返してみたり、行為を真似てみたり、タイミングを同期したりする行為。あるいは、 そうした繋がりをあえて崩したり、新しい要素を提案する行為。楽器の大きさや重さからくる不安定さにも関わらず、演奏の過程で純な倍音を見つけることに夢中になり何度も繰り返す行為。さらに、それを筒のなかで育て拡声する行為など…そうした人間的な営みの一つ一つが積み重なった時間の結果として、この一つながりの音楽が立ち現れるのだ。
(出典:『アンサンブル・ノマド 第82回定期演奏会 ダイバーシティ・多様性 vol.2:私もここにいるわ!』 2024/10/05 再演時プログラムノート)
◉《EPISODE》(2022)
作品形態:個人作曲(インスタレーション、文字作品)
編成:ピアノ、鳥笛、シンバル

作曲家は、音楽をなんらかの形で記録することで「作曲」を行っていますが、特にそれが記号や文字や図といった視覚的な情報だった場合、適切な上演方法は必ずしも演奏することに限らないのではないでしょうか。そう書くと、スコアは演奏されるからこそ音楽になるのだ、という声があがるかもしれません。しかしそもそも舞台で音楽を聴くとき、我々はただ音の振動を受け取っているだけなのでしょうか。
もしかすると、演奏とは異なる上演方法を選択したときに、音楽のまた違った側面を受け取ることができるかもしれない…そしてそこには聴けない魅力があるかもしれない…。
そのような期待から、「出来事の記述による音楽を黙読する作品」の第一号を制作しました。このコンセプトは未だ思案の渦中にあり、今後も検討を繰り返しながら展開していく予定です。
(出典:2022/2/2 初演時プログラムノート)
この作品は、プロジェクターにテキストを投影し、それをみなさんで黙読するという形式をとります。テキストには、インフォーマルな場での個人的なデュオのセッションが、3回分、片方の奏者の主観目線で書かれています。具体的な内容は、プログラムに挟まれている資料をご参照ください。資料にある通り、大人のTと子供で音楽経験のないEによる音楽室のセッションが3回展開されます。3回のセッションは地続きに行われたものですが、それぞれ若干趣が異なっています。
このような形の音楽は、私自身の、「創作した音楽を、演奏ではなく文章で上演したら、演奏するときとは異なる音楽の側面が引き出せるかもしれない」、あるいは、「音を聴くことではない音楽の魅力が存在するかもしれない」という夢想をきっかけにうまれました。
この作品がどのように受け取られるか、私自身も興味があります。よろしければフィードバックをいただけると嬉しいです。
(出典:2022/2/2 初演時上演前の作者によるアナウンス)
◉《みみなり based on our obsessed ears》(2022)
作品形態:共作作品
共作者:山田奈直(作曲家)
編成:クラリネットとライブエレクトロニクス

譜面制作とMAXパッチ制作という大雑把な役割分担はありながらも、なるべく互いに顔を合わせ、実際に楽器を扱いながら、どちらのパートも常に2人で創るように制作が進められました。相手の音楽観や癖がダイレクトに流れ込んでくる創作過程は、とても特別な体験になりました。(小栗)
皆さんの耳鳴りはどんな音がしますか?
「魔女に取り憑かれた耳」と言われ、太古の昔から人々を苦しめてきた耳鳴りですが、その予兆と純度の高い音色、そして徐々に収束していく音像は、人間由来のものとは思えない均質な美しさを持っていると思います。
今回の共作では、2人でB管クラリネットを探求し、通常の奏法では得られない魅力的な音色にたどり着きました。それらとライブエレクトロニクスが組み合わさることによって生まれる新しい「みみなり」をどうぞお楽しみください。(山田)
(出典:『音楽大学作曲科交流演奏会2022』 初演時プログラムノート)
◉《「ぴあのを好きでいてくれて、ありがとう」3人のパフォーマーのための》(2023)
作品形態:個人作曲
編成:ピアノ、3人のパフォーマー


わたしたちは、ぴあのの声がききたい。 ただ、それだけ。
(出典:『(卒業のための特別措置)シークレットライブ』 初演時プログラムノート)
◉《言葉のない世界で出会おう ー音を発することから起こされる「夜」の出来事ー》(2023)
作品形態:ワークショップ
定員: 10名程度
対象: 表現に興味のある方(音楽経験不問)
監修:松井周(劇作・演出家、俳優)、鈴鹿通儀(俳優)、私道かぴ(劇作・演出家)

赤ちゃんのころ、「あー」とか「だー」とか、床をバシバシして親と会話していたような、言葉をまだ獲得していない世界でのやりとり、そこに音楽の原体験があるという説があります。
今回は、そんな世界に立ち帰り、声や音の鳴る道具を使って、発音/発音行為を中心にしたシーンを一緒に立ち上げていきます。まずは音を聴く・音を発する姿勢を仕立て、それから「夜」というテーマと暗闇という環境を頼りに、世界に潜っていきます。わたしたちの「夜」には何が起こるのでしょう。
(出典:『標本の湯』2023/3/11 初演時 イベントのための特設webサイトへの掲載文章)
まずは、地面から生えている竹から不思議な声をききましょう。
あなたは「きく」ことを発見するでしょう。
次に、発音体(≒楽器)を配ります。
中央に置かれた「何か」に向かって、発音をします。
わたしが出すいくつかの指示とともに。
そのとき「ならす」ことを発見するでしょう。
あなたの中の「おんがく」が更新されます。
最後は自由に奏でましょう。
音が濁っているとか、音痴だとか、そういう世界は一旦忘れて
ただ音をきくこと、鳴らすこと、没頭すること、そこに音楽があったことを思い出しましょう。
(出典:『すべり台の週末』2025/3/9 再演時 広報掲載文章)
◉《訥》(2023)※矢野かおる名義の作品
欧文タイトル:Unclear Voice
作品形態:共作作品
共作者:熊谷ひろたか(演出家)、鈴木南音(社会学者)
スペシャルサンクス:大森唯加、小川敦子、佐藤鈴奈、森有希
編成:4声

《訥》(2023)は、楽器および声楽によって説得力のある音を舞台上で響かせるであろう4人の奏者が、下を向いてぐるぐると歩きながら、観客に届けるわけでもなくただただフィラーを発話していく。舞台上で奏者は(政治哲学者ジャック・ランシエールのいうところの)「声」以前の「音」を発することになる。
(出典:『ロゼッタ 変異するノーテーション』2024/05/12 初演時プログラムノート)
◉《交換楽記による小品》(2023)
作品形態:共作作品
企画:共作プロジェクト緒
共作者:山田奈直(作曲家)
編成:ピアノソロ


交換楽記 「交換楽記」とは、プロジェクトの中で生まれた作曲手法の一つである。手法はシンプルで、交換日記のように、制作途中の五線による譜面を交互に回し、前の人の内容を受けて次の人が続きを書き込む。交換日記と異なるのは、書かれる内容が1つの楽曲になることが目指されることと、すでに書かれたものに対する軽微な修正が認められていることである。この手法を用いて、小栗と山田によって共作されたピアノソロ作品が《交換楽記による小品》(2023)である。この作品では、2人で計33回の交換を行った。 |
「交換楽記」という名前がふたりともお気にいりです。
要素が引き継がれ展開されていく作曲そのものの気持ちよさもありながら、譜中に人格が複数ある感じもたしかにして、興味深いです。(小栗)
(出典:『山田奈直&小栗舞花 2人の作曲家による共作プロジェクト緒 vol.1 Work in Progress』2023/10/11 初演時プログラムノート)
◉《音楽さがし 玉川上水編》(2023)
作品形態:共作作品
企画:共作プロジェクト緒
共作者:山田奈直(作曲家)
編成:ピアノ、18種類の小物楽器


音楽さがし 何度か共作をくりかえしてくると、互いのこだわりや癖がみえてくるものである。互いのことを知ったようなつもりになってしまったり、相手の反応を予測できてしまうと、生まれてくる音楽への意外性も薄れてしまう。そこで、《音楽探し 玉川上水編》では、「玉川上水」「写真」といった我々の外側に拠り所を設け、共創相手の今までは気づかなかった感性に光をあてる。今回の作曲手法は、デザイナーの阿部雅世が考案した、「デザイン体操」というワークの、自然の散策の中で風景の中からAからZのアルファベットを無理やりにでも探す「searching」、それを写真に収める「discovering」が参照されている。まず、玉川上水で10分間、カメラを構えおよそ5mから10mほどの道の範囲で景色から音楽記号を探す。この記号が指す範囲は広く、音名「ミ」なども含まれる。撮り終えたあと、データを印刷し、そこに何の音楽記号をとらえたか発表しあう。その後、もともと持ち寄っていた多数の小物楽器、写真と記号、楽器の配置の組み合わせを2人で交互に決め、自分が決めた楽器について1楽器につき1つモチーフを作曲した。この譜面は五線譜ではなく、指示書に近い形態をとっている。その後、ピアノとの組み合わせなどを2人で話し合い、調整を重ねて一曲に仕立てあげた。 |
玉川上水に落ちていた音楽記号は、まだ奏でられたことがないような表情をしていました。(小栗)
蚊がたくさんいて、大変でした。(山田)
(出典:『山田奈直&小栗舞花 2人の作曲家による共作プロジェクト緒 vol.1 Work in Progress』2023/10/11 初演時プログラムノート)
◉《ジッキョー》(2025)
作品形態:共作作品
企画:共作プロジェクト緒
共作者:ruki kojima(作曲家、メディアアーティスト)
スペシャルサンクス:アラキミユ、岩花幸歩、加藤綾子、熊谷ひろたか、鈴木南音、城谷怜、高橋一路、髙𣘺陽、田中十和子、原塁、平井寛人、山田奈直、その他制作のための実践会にご参加いただいた皆様
編成:実況者と解説者と記録係と4人のパントマイマー

この作品は、ruki kojimaがかねてより探求している「競技につける実況の音楽性」をテーマに共作されました。「ジッキョー」と名付けられた架空の楽器を3人がパントマイムで演奏し、それに対して実況・解説がつけられます。音楽家が奏でる「実況」をお楽しみください。
本作品の制作にあたり、多くの方々のご協力をいただきました。意見交換や実演を通じてお力添えをいただいたすべての方々に、心より感謝申し上げます。(小栗、ruki)
(出典:『共作プロジェクト緒 第二回公演 「声」』2025/02/02 初演時プログラムノート)
補記
初演時、多数の展示物やトークによって、作品の制作過程や性質にまつわる情報の補強がなされていました。その一部をここで補足します。この共作では「実況譜」と呼ばれるリサーチ型ワークシート形式になっている譜面を開発しました。奏者が実際に会場やその日の気候等、演奏環境についてリサーチし書き込むことで完成されます。また、書き込みには必ずしも従う必要がなく、言えるかもしれないこと、という距離感の内容が記入されます。以下は初演時の奏者、城谷伶による書き込みが入った実況譜です。

◉《Eat up, every last bit.》(2025)
作品形態:共作作品
企画:共作プロジェクト緒
共作者:山田奈直(作曲家)
編成:トランペット、クラリネット、工作物、4声

「声」といったら「口」、「口」といったら「食べる」、音を食べたらどうなるだろう?というように連想していって、行き着いた先がこの作品になりました。タイトルは「(最後の一口まで)遠慮なく召し上がれ!」とか、「残さず食べなさいね」といった声かけでよく用いられるフレーズです。この作品はそんなコンセプトを持ちながらも、物語が見えるようで見えない曖昧さを保っています。タイトルと演奏を頼りにさまざまに解釈してみてください。
また今回の制作では、頭の中だけで考えるのではなく、実際に手を動かしてその場で身体で発見していく時間を多くとりました。その特徴が現れているのが、舞台上にある数々の工作物。音が決まる前から作品を外側から形づくるように制作されました。(小栗、山田)
(出典:『共作プロジェクト緒 第二回公演 「声」』2025/02/02 初演時プログラムノート)
◉《生前のバイオリン、こないだの人》(2025)
作品形態:個人作曲
編成:バイオリニスト(と小栗舞花)


昔々、身体の一部だったバイオリンはもうここにない。
いつもの部屋の木の柱。最近、木目に目がひきよせられる。弾いたことのないウクレレの丸み、なぜだか左の鎖骨を寄せたくなった。
失ったものの痕跡はどうしてこんなに強く残るのだろう。
部屋にはいないはずの人がいる。いないはずのバイオリンがある。
わたしは二つの不在と共に生きる、一人のバイオリニストだ。
※本作品は、昼/夜公演による演出の違いがございます。
昼公演:小栗舞花本人が「いないはずの人」としてパフォーマンスに参加します。
夜公演:加藤さんがソロで演奏します。架空の小栗(不在の人間)とのデュオを表現します。
(出典:『加藤綾子ソロ・リサイタル・シリーズ ヴァイオリニストのためのフィクション』2025/04/04 初演時プログラムノート)