インタビュー 小栗舞花

インタビュー 小栗舞花

小栗舞花

自分のやりたいことを

小栗舞花さん(以下、小栗): 3歳でピアノを始めましたが、中学受験があって小学校四年生で辞めてしまいました。その時は、お稽古事程度で、楽譜は読めるけれど基礎もままならないというような状態でしたね。中学校でバスケ部に入り、授業を受けて部活をしたらもう一日が終わりという生活をしていたのですが、中学校の二、三年生くらいのときに、ジャズピアニストの上原ひろみさんがグラミー賞を受賞されて、テレビに映った姿をみる機会がありました。譜面を読んでその通りに弾くのとは違って、コードを頭に入れてそのなかで自由に弾くという世界があることを知り、それで街の音楽教室のポピュラー音楽のコースで習い始めたんです。そのときの先生が、東京音大の作曲科を卒業された方で、弾きたい曲を持っていくと「ここの部分のこのコードが良いよね!」という話をしてくれたりして、曲のことを隅から隅まで見ている感じ、曲を味わい尽くしている感じがして、それがすごく良いなと思いました。これが、音大の作曲科に行きたいと思うきっかけでした。

小栗:そうですね。ただ、受験勉強にはあまり良い思い出がないんです。私は中高一貫校だったんですが、高校に入ってから軽音部に入り、キーボードを弾いていました。シンセサイザーで音色を作るのにのめり込んでいたんですが、受験の都合で辞めさせられてしまって。ただ、キーボードを弾きたいという気持ちがどうしても抑えられず、「セッション会」という演奏したい人が集まる場に周囲に内緒で参加するようになり、そこで音楽と色々な付き合い方をしている大人たちと出会いました。私は高校生だったので、本来なら共通の話題もなく、あまり話が通じないはずなのに、一緒に音を出した瞬間にフラットになれる感覚があり、それに興味を覚えました。当時はいまほど喋りが得意じゃなかったし、先生や親以外の大人と接する機会もほとんどなかったのに、セッションをした後だと、すっと話せるようになる、ちゃんとコミュニケーションがとれるようになる、というのがおもしろかったんです。

小栗:当時から、音楽とコミュニケーションの関係には、とても興味がありましたね。どう調べたら良いかも分からなかったので、とりあえずインターネットで検索して見つけた『音楽的コミュニケーション:心理・教育・文化・脳と臨床からのアプローチ』という分厚い論文集を買ってきて。内容はほとんど頭に入ってこないんですが、それをペラペラめくりながら、話題になっていることや参考文献を調べているうちに、音楽療法や音楽教育といった、作曲とは少し違う方向にも関心が出てきました。

小栗:受験のために教わっていた先生が「大学に入ったらこういうものをやるよ」というのでヴェーベルンの《六つのバガテル》かなにか、短いものを幾つか選んでくれて、それを聴いてくるという宿題がありました。ただ、当時の私は音色に一番耳が向いていたので、その点でいうと、それほどショッキングなことは起きていないんです(笑)。嫌な感じはしないけど、驚きもしないというか。ただ、未知への好奇心から気にはなっていて、現代音楽の演奏会にはよく足を運んでいました。一つの転機になったのは、サントリーのサマーフェスティバルで演奏された武満徹の《ジェモー》を聴いたことです。私の座っていた学生席は、横から見下ろすような位置にありながら、音の定位がすごく分かりやすかった。音の移動のような表現がすごく映えるんです。《ジェモー》は二群のオーケストラの曲で、本来は右と左で聴くところを、手前と奥というような位置関係で聴いたときに、ヴァイオリンから水が湧き出るように音が聴こえてきたんです。武満が日本庭園に関心があったことなんかは知識としては知っていたので、庭園を眺めているような時間を過ごすことができて、「こういうことなんだな」って初めて分かったつもりになれて。それが正しい理解だったかはともかく、その体験をきっかけに、それまでは瞬間瞬間の音色を面白がって聴いていたのが、次第に時間的なドラマのようなものとして聴けるようになっていきました。

小栗 :チェリストの山澤慧さんによる「マインドツリー」という、各世代に作品を委嘱するシリーズものの企画があるのですが、2017年は、10代20代の各作曲家の公募新作、山澤さんよりも上の各世代の作曲家の委嘱新作というプログラムを組まれており、そこで私が大学生になって初めて書いた曲が10代の公募作品として選ばれました。それは特殊奏法を多用している点は今とも共通していますが、音楽の進み方、運び方はいまとは少し遠いところにありました。その後の、大学一年生の試験のために書いたデュオの時点では、いまとそれほど変わらない楽想になっていたと思います。ただ、このデュオの作品を書いた当時は記譜法に対する向き合い方が未熟で、スペースノーテーションを用いたのですが、それには融通の利かなさみたいなものを感じましたね。「これはなんなんだ」という気持ちを抱えつつ、時には五線で書いてみたり、「やっぱりなんか違うな」と思って結局は戻ってくる、というようなことを繰り返していました。

小栗:ええ。二年生の時に「秋吉台の夏」に参加して、 その時に「もう自分のやりたいことが見つかっちゃった」という話を近藤譲先生にしたら、「そんな若いのに見つかるなんてことはないから、絶対に変わるよ」って言われました。けど、いまのところ変わっていない(笑)。

小栗 :ありましたね。講師陣が素晴らしいのはもちろんですけど、他の大学からも現代音楽に興味がある人たちが集まってきて、夜通し話すみたいな、そういう機会も新鮮でした。当時から私は、別に現代音楽を手放しで賛美していたわけではなくて「これってなんでこんなに良いことと思われてるんだろう?」みたいな疑問がたくさんあったんです。講師の先生たちには、そういったことをぶつけてもちゃんと応えてくれるという信頼感がありましたね。学部の二年生という、まだあまりよく分かっていない段階で、そういうことをオープンにできる場に参加できたのは、とても良かったと思います。大学でも一学年に2、3人は現代音楽に向う人がいて、お互いの作品を聴く機会はあるにはあるんですが、具体的にどういう問題意識を持っているのかとか、そういった深い話をする機会はあまりなかったように思います。

小栗:論考にも書いた《愛文鳥の別れを知るために》(2020)という作品です。ヴィオラ8台を空間配置して音を鳴らしていく作品で、現在のテキストベースの譜面のかたちに辿り着いた最初の作品でした。四年生は普通はオーケストラ曲を書くんですけどね。

小栗: オーケストラで演奏してもらえる機会は貴重なので迷いました。でも、編成を決める直前に「やっぱり自分でチームを作って、管理できる範囲の作品にしよう」と考えました。オーケストラ曲はリハーサルの回数が限られていて、 五線以外で記譜をするとなった時に難しそうだというのもありました。それと、当時飼っていた文鳥を亡くしてしまったことをきっかけに「やっぱりちゃんと自分のやりたいことを愚直にやろう」と決めたんです。先生たちはオーケストラ曲を書く生徒たちにつきっきりになってしまったので、私は放置されましたが(笑)。

そういえば、秋吉台で山根明季子さんが《アミューズメント》(2018)という作品のレクチャーをされていて、その譜面の最初に奏者に向けて「これはこういう音楽なんです」という説明がきちんと書かれていたんですよね。あの譜面の「気遣い」はとても参考になって、影響を受けている部分があります。

小栗 :そうですね。それまで音楽三昧だったのが、どうしても人と会って音楽することができなくなり、改めて自分を見つめる時間ができた時に「私がやっていることって本当に音楽なのかな」みたいな疑問が湧いてきました。この頃には、音楽から離れた分野にも関心があったし。それで松井周の「標本室」というコミュニティに入ったんです。そこから色々なイベント情報も得られるようになったので、興味があるダンサーのワークショップを受けに行ったり、とにかく気になるものに足を運んでいたら、興味が近くて気も合いそうな人たちと、だんだん出会えるようになってきました。

別のジャンルの人と一緒にやることも増えましたが、最初は使っている言葉が違うところに戸惑いました。 音楽の世界では普通に通じていた言葉でも、どういう意味なのかを、すり合わせていかないといけないし、自分たちの常識も取り去っていかないとうまくいきません。

実は、私が個人で作っている曲の話がいろいろな説明抜きに一発で伝わるのは、音楽家よりもダンサーであることが多いですね。ダンスでいう振り付けに近いのかもしれません。演劇も近いといえば近いんですが、ダンサーの方が理論以前に身体が勝手にこう動いてしまうみたいなことを前提にしている気がします。

触媒的な即興、聴衆とのコミュニケーション

小栗 :頻繁にライブをしているわけでもなく、生活していて色々と自分自身も変わっていくなかで、そこに点を打つようにインプロをしているという感覚があります。今日この時点での私がそこに現れるっていうだけという。自分から企画したこともなくて、 誘われたから出演してる、いわば付属品みたいなかたちですが、それがすごく居心地が良いんですよ。聴衆に対してこう見せようみたいな意気込みがなくて良いので。それは論考に書いた「座敷童子スタイル」という話とも繋がっています。

小栗:私のスタイルは触媒的に機能することが多くて、例えば共演する人が手癖を繰り返してしまっていても、私がその周囲で何をしているかによって自然と見え方が変わっていくように思います。それはテキストを扱う人と演奏する時に顕著な気がしますね。私自身が固定の楽器を持っていないというのもあると思います。会場にあるものとか、共演者が持ってきたものとか、ありとあらゆるものを鳴らすので、一期一会の体験という感じがする。

ただ、「ザ・演奏家」みたいな人たちと、いわゆるフリーインプロをやる時には、ジャンル横断的にやる時よりも見え方の範囲が狭まるという感覚は、たしかにあります。音楽の作り方も聴き方も、方向付けされてしまい多義性を生みにくいというか。そこをうまく崩せないかなと思っています。

小栗: 個人の創作の話をしますと、一般的な演奏会で曲を聴くのとは少し違って、「うっかり出会ってしまう」くらいのポジションで考えています。奏者同士が特殊な共同体を作っているとすれば、そこにたまたま立ち会ってしまった人々ぐらいの位置付けで、聴衆を考えています。だから、コミュニケーションではあるんですが、一般的にこの言葉で思い浮かべるものとは少し異なっていると思います。呼吸のリズムや発音の慎重さのようなものが自然と同期してしまうとか、そういうことの方が大切ではないかと思っています。

小栗: 例えば五線で音楽を書くと、観客が何をしてもこちら側は揺るがないという感覚がありますが、そうではなく、観客がどのくらい集中しているかとか、どういうノイズを出したかといったことに空間が影響を受けるので、そういう意味でのコミュニケーションはあります。とはいえ、奏者側と聴衆が同じ立場かといえばそうではないです。やっぱり演者だけに共有されているものはある。聴衆はそれを外から見てはいるけどそれに影響されてしまう、同じ共同体に含まれ始めてしまうという、そういうグラデーション的なところがあるように思います。

小栗:それは全然違いますね。そもそも、なにかを作っている時は、生活をしている時と同じようなレベルの、いわば「雑さ」があるのに対して、舞台上で振動のまさにその振動し始めを捉えるとか、そういう時には瞑想した後のような深いレベルにいるんです。

小栗:私の作品は暗がりでやることが多くて、その暗闇に集中力を高める、感覚を鋭敏にするという効果がありますね。それから、作品の最初の方にチューニング的な時間を設けています。例えば呼吸の音をちゃんと聞けるようにするとか。そこで奏者もコンディションを整えるし、聴衆もそれに影響され、集中していく。

以前は、あらかじめ「これはとても静かな曲です」と伝えていた時期もあるんですが、最近では、そういう風に無理やり静かにさせるのではなく、自然と聴く、その音楽の場に取り込まれていくというかたちの方が、私としては居心地が良く、しっくりきています。先日、アンサンブル・ノマドのみなさんが《誰かさんの産声》(2022)を演奏してくださったんですが、最初はお客さんの席から服が擦れる音とか椅子に座り直す音とか、ちょっとしたノイズが出るんですよ。でも、中盤になるとそれがもうすっかり静まり返っている。

修士課程の修了作品の《ぴあのを好きでいてくれて、ありがとう》(2023)は、それとは異なるアプローチで、本編の演奏前に鑑賞者が発音参加するプレワークを作りました。これも譜面というか指示カードに仕立てているのですが、「拡張版」というパッケージにしていて、プレワークから本編までの一連の時間を一つの音楽作品として上演できるようにしています。ちょっとした指示を書いたカードが床に置かれていて、その指示に従って音を鳴らし、そのあとで客席について作品を鑑賞する。つまり、会場に入った時からすでに音楽が始まっていて、その空間で一音でも最初に発音していれば「聴衆としてその場にいるのだけど参加している」という感覚が強くなるのではないかと思ったんです。これはうまくいきましたね。

ワークショップも一つ作ってはいるんですが、そちらは小栗作品における音楽の捉え方を理解するための入口的な作品で、発音や聴取に対する集中力を極度に深いところまで持っていくというベクトルとは少し違います。

「社会」とはなにか

小栗 :私も最初は作品に対して同程度の貢献度でやらなければ良くないんじゃないかと思っていました。でもそうするとバランスを取ろうとするあまり、面白いものにならなかったり、逆に忖度が生じてしまったりするんです。山田奈直さんとやっている共作プロジェクト「緒」では、ユニットに近いかたちで継続してやっているので、作品毎に多少バランスが違っても良いと思っています。最近よく実感しますが、共創における創発は、二人が同時に何か新しいアイデアを生み出すようなものではなく、どこまでいっても一人ずつの上書きなんですよ。その細かさによって混ざり方が変わってきます。常にいつでも同じくらいの貢献度で作り続けること自体、そもそも成立しないのではないでしょうか。

それから、演出家の方と社会学者の方と三人でやっている「矢野かおる」ですが、このユニットの良いところは、平凡な「誰それ?」みたいな名義になっているので、作曲家小栗舞花という自分の名前を無くせるというか、匿名に近付いている感じがするところです。そもそもこれがユニットの名前であることも、パッと見ただけでは分からないですしね。

小栗:タイトルは最後に決めることが多いですね。先に名前をつけるとそれに引っ張られるので。集まって、みんなで色々出す。作品への思い入れもあるし、タイトルはみんなこだわりたいところですよね。どのユニットでも、時間がかかります。

小栗: どうでしょうね。というよりも、共創では、どのように異なる人と一緒に作品を作れるのかという、多文化共生とでもいうのか、そういう意義が先行しています。意義があると公にも開きやすいです。いまの社会を生き抜く上では、意義が明確な方が進めやすい。

小栗:ええ。ただし、社会的なものに焦点は当てていますが「社会的意義」というものに対して分からなさみたいなものがずっとあります。体良く使われている「社会」という言葉で何を指しているのか。みんな「社会、社会」って言うけれど、それがどこまでを含んでいるのか。日本全体なのか、地球全体なのか。実際に、実践的に、具体的に目にみえるかたちで「社会」と関わるとは、どういうことなのか。「社会」のことを考えるようになったからこそ、それがよく分からなくなっている、というのが現状です。

奨学金を得るときなど、どういう意義があるのか、「社会」とどう繋がっているかと聞かれる機会は多いわけですが、私は自分自身の作品をそちらにあまり繋げたくないという気持ちもあるんです。

小栗: 誰か一人にでも何かを見せた時点で外とは繋がっているわけです。ただ、普通それを「社会と繋がってる」とはいわないですよね。その境界線はどこに引かれるのでしょう。

反対に、広く世に公開しているものでも、そこに批判的な視点が全然ないものもあるわけで。私の作品はある特殊な共同体を立ち上げているわけですが、それは「社会」とは呼べないのか、とか。いま「社会」の定義を探し求める感じがします。

調和とバランス

小栗:いまは、そこまで音楽であることにこだわらなくて良いのではないかと思っています。例えば、演劇の制作協力をしているときに、専門家として音に関係する話題を振られることがありますが、適当な音や音楽をつけていくだけという現場はほとんどありません。向こうも音や音楽の定義を広く捉えてくれていて、俳優の発声の話とか、曲ではなく自動的に楽器が鳴る仕組みを作りたいとか、そういった相談をされたりします。もちろん、演奏家や音楽家と一緒にやった方が圧倒的に発音が丁寧なのはたしかなので、少し焦ったさはありますが。そういう緩やかな関わり方をさせてもらえるのはありがたいですね。制作のなかで、私自身が俳優がやるようなことを実際に演じる実験に参加したりすることもありますし、そういった作品レベルまでいかない、試したいことがある人の実験に一人間として参加することも多いです。

小栗: それはありますね。私は共創をやってるし、譜面も柔軟にみえるかもしれませんが、 音に対するこだわりはかなり強いんですよ。リハーサルもすごく口を出す方だと思います。「この瞬間にこの音があってほしかったのに!」みたいなことがよくあるんです、どれくらい指摘するかは経験を積んで学んできましたけど(笑)。

小栗:というよりも「 いまこの瞬間にこういう動きをしたらこういう風に音が動くよね」とか、音のタイミングにしても「ここが詰まったから、もう一回ここで詰めて、きゅっとさせる。そしたら次はもっと長く取りたいよね」とか、そういうバランスや調和の感覚の話ですね。私と他者とでは、その「ちょうど良い」の感覚が違うということが、少しずつわかってきました。

最近は、自分の思い通りに動かすというより、その人から何かを引き出したいと思っています。奏者や一緒に作っている相手が持っている感覚や感性みたいなものを信頼したい。もちろん、まったく自分の軸を持たずにやっているというわけではなく、ある程度私の頭のなかにやりたいことはあります。ただ、それが、一緒にやっている人の感覚と触れ合った時にどう変化していくかとか、どうフィットしていくかみたいなことまで含めて考えているという感じでしょうか。感覚が違うことを許容しつつも、調和させるという態度は管理する必要があると思います。

小栗: 私はリハーサルや本番に奏者として一緒に入ってしまうことが多いんです。共演というかたちでリハーサルに入ると、言葉で事細かに説明したりお手本を見せるのとは異なる仕方で、この音楽がどういうものなのかを示せる。それは一つ有効な手段になります。それから、私の作品を一緒に演奏してくださっている方々の多くは、高度な音楽教育を受けてきた人たちなので、共通の背景や認識があるからうまくいっている部分もありますね。 

他方で、仮に、本当にまったく違う文化の人たちが演奏するとなった時にも、譜面の絶対性みたいなのを誇示する必要はないと思っています。譜面を材料として使ってもらうくらいでも構わないです。それこそインプロの素材みたいな感じでも使えるでしょうし。

小栗 :そうですね。さっき言ったように、私自身こだわりが強い方ですが、このこだわりを持ち続けても良いことにならないのではないかという気持ちもあります。深まっていけばいくほど、自分だけの世界に閉じこもってしまうような気がしていて。そこをうまく抜け出すという意味でも、 共創の取り組みは頭の中の換気になっています。それによってまた自分がやりたいことをもっと深めていけるというか。その二本の道を両方同時に歩んでいかないと、危ういのではないかと感じています。

小栗 :なんか誰もついていけないとこまで行きそうな感じがします。でもそれは寂しいですよ、寂しさに勝てない(笑)。

共創についていえば、もう少し色々な人が共に作るということを意識して、その上で直面した悩み事などもシェアできるようになれば良いと思いますね。まだこれからという感じがします。例えば、権利の問題は難しいですよね。仮に、利益が発生した時にどういう風にするかとか。ユニットだったらまだ良いけれど、知り合いを呼んで実験したときなどに、その集まってくれた人たちはどういう扱いになるのかとか。アイデアが片方に偏ったときに、名義をどうするかとか。まだ議論すべきことは、たくさんあります。権利を手放したら手放したで、誰かに悪用されたら嫌ですしね。うまいバランスを模索していかなければいけない。それはともかく、理想としては、自分にとっての美も一方でありつつ 、他方で自分の美と他者の美が触れ合った時に1+1=2以上の何かが生まれたら良いと思います。 自分でも予想がつかなかったぐらいの、想像を超えた、自分が作ったとは思えないものが出来上がってしまった、そんな経験ができたら良いですよね。

小栗: 論考に書いたように、クローズドで自分の作品のセッション会をやりたいです。一回に呼べる人数は限られますが、音楽関係の人、演劇関係の人、ダンス関係の人とそれぞれ別々に呼ぶのではなく、「ここの感覚が近いな」という人たちを引き合わせるみたいな。別にそこで会話とか親睦を深めるみたいなことが起こらなくても構わないんです。とにかく普段会わない人たちが同じ時を過ごす場所ができれば良いなと思っています。

共作プロジェクト「緒」に関しては、もう少し色々な作曲家に共創というものに興味を持ってもらい、気軽にやってもらいたいという気持ちがあります。例えば、私はいま26歳で、このくらいの歳の作曲家は「自分はこういう作曲家です」とパッケージングしていかなければいけない時期かもしれませんが、20代なんて、まだ変容の可能性がたくさんあって、やりたいことも体力もいっぱいある時期です。若い人たちが共作をひとつの別軸として色々と実験ができるようになったら良いですね。そういう若い人たちと一緒に作品を作りながら、どんなことに興味があるのかを聞いたり、自分の思考を誰かに託すこともとても大切なこととして取り組みたいと思っています。

2024年10月17日

Zoomにて

インタビュアー:小島、西村、原