以下の文章は、スタイル&アイデア:作曲考 第1回作品演奏会および終演後のシンポジウムをめぐる陣内みゆき氏による「傍聴録」です。本シンポジウムは日本音楽学会より「2022年度支部横断企画第2期採択企画」として助成を受けました。当該の「傍聴録」は、2023年3月に日本音楽学会の公式ホームページに掲載されましたが、2023年度より同助成が「音楽関係学術イベント開催助成金」と名称変更され、また、学会ホームページがリニューアルされたのに伴い、アクセスが不可能になったため、ここに全文を掲載当時のまま、公開いたします。
傍聴録:スタイル&アイデア:作曲考 第1回作品演奏会「縦と横」
2022年12月24日、早稲田トーキョーコンサーツ・ラボで「スタイル&アイデア:作曲考 第1回作品演奏会『縦と横』」と関連シンポジウムが開かれた。「スタイル&アイデア:作曲考」は、同時代の作曲家と聴衆を繋ぐプラットフォームの構築を目指すグループで、演奏家の坂本光太氏と八木友花里氏、 マネジメントの西村聡美氏、音楽学の小島広之氏と原塁氏といった多様な立場のメンバーを擁している。当グループのWebサイト上では、作曲家自身による論考やプログラムノート、インタビュー記事を公開し、作品構成のプロセスを貫く作曲家の「スタイル」や「アイデア」が誰でも見られるかたちでアーカイブされている。今回の演奏会とシンポジウムは、普段はなかなかオープンにされることのない作品のテーマ決定や、制作過程での作曲家と演奏家との対話といったプロセスを積極的に開示し、記録・ 検討するプロジェクトの一環として企画された。この催しに先立って開催された第1回シンポジウム(6月22日、於Youtube Live)で演奏会の委嘱作品テーマが決められ、企画は長期的なスパンで進行した。
この日の演奏会では、2曲の委嘱作品のほか、作曲家の創造行為に焦点を当てた作品が取り上げられた。これらの作品は「スタイル&アイデア:作曲考」が論考の執筆依頼を行い、インタビューをしてきた作曲家の作品ないしは関連作品である。本稿では、演奏会に引き続いて行われたメンバーと委嘱作曲家によるシンポジウムの様子と合わせて、当日の様子を報告する。
1. 作品演奏会
前半の演奏会部分では、若手作曲家5名の作品が取り上げられた。灰街氏の新作初演、桑原、辻田 両氏の委嘱作品に加えて、2021年に開催された「第一回米田恵子国際コンクール」出品の2作品が披露された。5作品とも、作曲家各々の問題意識の鮮烈な表出があり、観念の具体化のプロセスに対す る新たな切り口をも模索した意欲的な作品であった。その意義を確認するために、それぞれの作品について個別に報告する。
灰街 令《De-S/N_T/S——ピアノとモジュラーシンセサイザーのための》(新作初演)
演奏会冒頭で、あらかじめ録音されたピアノや電子音、断片的な環境音と作曲者自身の実演を混じえた灰街氏の作品が演奏された。作曲家自身の解説によれば、作品タイトルの最初は接頭辞Deを表し、その後に続くアルファベットはSign/Noise、Time/Spaceへの志向が表現されているという。
レコードの再生特有のバリバリとしたノイズが聞こえ、ジョン・ケージのインタビュー音源のおぼろげな引用が続くと、バッハ様式の旋律がぎこちないオルゴールのように流れる。電子音が断片的に入り込んだ後は、時間を中断するようなお鈴、鳥の短く反復するさえずり、遠くで聞こえるサイレンが重なっては消え、あらかじめ録音された音なのか、その場で発せられた音なのか、遠くから聞こえているのか近くで鳴っているのか、巧妙に混淆された音響として現れた。再びケージの音源が聞こえた瞬間、それが何について語られた誰の言葉であるか認知する前に、引用されたその音声自体が引き連れてくる過去の存在——聴衆それぞれが持つ記憶、知識——が濃密に立ち上る。心地良く聴き馴染む音響のなかに、層状に重なる音響によってもたらされる構造と、引用による意味の生成プロセスが変容していく様が鮮やかに描き出された作品であった。
山﨑燈里《黒い帯》
第一回米田恵子国際作曲コンクールの入賞作品。このコンクールは、作曲家の樋口鉄平氏を始めとするThéâtre Musical Tokyoのメンバーによって創出された想像上の芸術家「米田恵子」を記念したコンクールとしての名称を持ちながら、その独特の応募規定や選考基準によって、コンクールの持ち得る権威性/虚構性や、特定の共同体により規定されていく価値決定の在り方を問い直す野心的な試みである。
コンクールの審査時、黒子を転写した紙片を楽譜として演奏した山﨑氏の《黒い帯》は、今回の演奏会では、作曲者である山﨑自身の黒子そのものを皮膚の上の音符とみなして、刺青で書き加えられた線で繋ぎ合わせたその黒子=音符が演奏された。山﨑氏の個人的な黒子への想いに端を発して創作された作品ながら、女性の、白く、染みや黒子のない、滑らかな肌を至上とする「与えられた/押し付けられた」美意識に対する問いを突きつける作品であった。この演奏会では、チューバと、皮膜にテープの貼られたバスドラムで実演された。
舞台中央で山﨑氏が自らの身体の黒子を奏者に提示し、次に演奏する箇所を指し示していく。次に演奏する箇所は、山﨑氏の手の動きによって決められる。チューバとバスドラムから断片的に発される音——引っ掻き、擦り、叩くノイズ——を、微笑みをたたえて聴く山﨑氏の愉しげな表情とは裏腹に、肌の上に固定された黒子の譜面の存在感は、青山かつ子の詩「黒い帯」にうたわれた周縁化された女性の歴史と線を結び、鬼気迫る、切迫した真剣さをもって発せられた。作品自体の興味深さもさることながら、自らの身体上に彫り込まれた黒子の譜面を提示した山﨑氏の狂おしい問題提起に対して、演奏終了後は一段と強い拍手が送られたように感ぜられた。
Camille Kiku Belair《Book Piece》
第一回米田恵子国際作曲コンクールのために書かれた作品。任意の数の演奏者によって演奏されるこの作品は、今回は鍵盤ハーモニカ、ピアノ、チューバ、歌、ヴィブラフォンという楽器編成で演奏された。演奏に先立って舞台に長机が用意され、今回の演奏者5名——原、小島、坂本、西村、八木——が並び、クレヨンやペンを取って思い思いに図ないし言葉を紙に書きつけ、八つ折りした紙面の中央に切り込みを入れてグラフィック・スコアの冊子を制作する行為自体が提示された。奏者自身の書いたスコアの演奏が終わると、そのスコアを隣の演奏者に渡し、演奏する。これを奏者の人数分繰り返し、すべてのスコアの演奏を終えると曲が閉じられる。それぞれの奏者の読み方が音として現れてくる様は、図形楽譜の具体化のプロセスを顕在化させた。例えば、演奏会当日にちなんで書かれたクリスマス・ツリーの絵柄を演奏する際には、聴衆にも認知可能なクリスマス・ソングの旋律の引用をする奏者、聴衆には認知困難な要素を発する奏者…とその選択は分かれ、5名の実践を通してその差異は明確に現れる。「グラフィック・スコアと製本作業を、最終的な作品形式に意義深い影響を与える方法で組み合わせることを目指し」て創作されたこの作品は、各々の音楽の方向性の違いも相まって、二度とは同じ演奏となりえぬ、コンセプチュアルなグラフィック・スコアの持つ再現不可能性をも示唆していた。
桑原ゆう《落下する時間》(委嘱初演)
2022年6月18日に行われた「スタイル&アイデア:作曲考」第1回シンポジウムにて決定したテーマに基づく委嘱作品。6月のシンポジウムでは、桑原、辻田両氏の創作についてのプレゼンテーションの内容を受け、「スタイル&アイデア:作曲考」のメンバーに加えて会場も含めた議論の中で、2人の作曲家の通常の創作様式とは「反転」する、いわば制約を与えるテーマを設定することが決められた。演奏会のタイトルに掲げられた「縦と横」のうち、ふだん横の線のゆらぎを緻密に紡いで作曲する桑原氏に対して「縦」というキーワードが与えられ、ヴィブラフォンのための《落下する時間》が創作された。
ヴィブラフォンの打鍵音、ヴィブラートのゆらぐ残響と、アルミホイルでプリペアドされた特定の鍵盤から発せられる微細な振動音は、それぞれの奏法の減衰速度が熟考された音価の積み重ねによって推進力が与えられ、不思議にうごめく印象があった。残響がぶつりと断絶するように何度も区切られるたびに、聞き手はその一瞬の間隙から否応なしに新たに聴き始めるため、次第に作品自体の鼓動の中 に取り込まれるような感覚がもたらされる。作品と一体化するようなこの感覚によって、聴取側も安穏と受動的では居続けられず、八木氏の的確な弾き分けによってヴィブラフォンから発される多彩な音をどう聴き、どう捉えるのか——瞬間の音響の中で問い続けられるような聴取感覚があった。
辻田絢菜《メタルチューブワーム》(委嘱初演)
第1回シンポジウムで委嘱された2作品のうちの一つで、桑原氏の「縦」の作品と鏡合わせとなる創作の枠組みとして、普段和声を重視して作曲するという辻田氏には「横」というキーワードが与えられた。「浮かんでは消える何かをさまざまな角度から感じることができるような作品を作りたい」と語る辻田氏の、運動の刹那的な重なりが次々と現れる普段の作品と異なり、持続する意識に貫かれた作品であった。
チューバの低音部から始まる息の長い旋律は、細やかな強弱やアーティキュレーションの変化を伴いながら次第に音高を上げて、大きな音程差やリズム変化によって徐々に躍動感を増す。息そのものが構成要素となるセクションを挟んだ後、パーカッシブに音を取り扱うセクションへと移行する。西洋音楽伝統の作品構造を感じさせながらも、その境は曖昧で、行きつ戻りつするように前の要素を取り入れ、次の要素と溶け合いながら進むこの作品は、辻田氏がタイトルに設定した、管の中を動き漂う生き物の生態・生命力のイマージュを作品に紐付ける。
第1回シンポジウムでは、委嘱テーマの設定に際し、外部からの干渉によって予期せぬ反応を引き起こすことへの期待が述べられていたが、普段の創作とは異なるアプローチを強いられることで生まれた桑原、辻田両氏の作品は、それでも表出される両者の個性と、通常の作品では強く意識されることのなかった要素の両面を色濃く浮き彫りにした。この両面が現れたことこそ「創作行為に対する他者の介入の意味」を考える意義といえるだろう。
2. シンポジウム(日本音楽学会 支部横断企画)
演奏会後に行われたシンポジウムは、原氏の「作曲行為をめぐるドキュメンテーションの(不)可能性」と題された発表と、「スタイル&アイデア:作曲考」メンバーと委嘱作曲家による共同討議という二部構成で行われた。
原氏の発表では、この演奏会とシンポジウムに至るまでの過程が説明され、一連のプロジェクトを 振り返り、その意義を検討する準備がなされた。まず「スタイル&アイデア:作曲考」が、再演の機会の少ない、同時代の作曲家の創作手法や創作観、作品に対する理解を深めるための活動をおこなっていること、その活動の一環として委嘱プロジェクトが始動したことが説明され、第1回シンポジウムでのテーマ決定から作品初演当日までの経緯が述べられた。その後「作曲行為」を拡張的に捉えることで、作品や、作品が演奏される場——演奏会の在り方をも含んだ問題提起、協働プロジェクトの記録の蓄積、そして人類学の視点を取り入れたマルチ・パースペクティブな総括としての記録の準備を考えて いることが話され、討議へと続いた。
討議では、委嘱作曲家の桑原氏と辻田氏、演奏家の坂本氏と八木氏、マネジメントの西村氏、音楽学の小島氏と原氏がステージに並び、今回の演奏会とシンポジウムを振り返り、作品が出来上がる前のプロセスを記録・提示する意義や是非について、それぞれの立場から発言がなされた。
作曲家の両氏からは、6月のシンポジウムで観客も含む「他者」の介入によって、普段の作風とはいくぶん離れた「枷」ともなるべきテーマ設定を与えられたことで、創作過程にも変化が生じたことが語られた。多声音楽をも含意した「縦」のテーマを与えられた桑原氏は「縦を意識すると余計に横を意識する」結果になり、「横」というテーマを与えられた辻田氏は「縦の線が、横の線に入ることで推進力を得る感覚があった」と述べた。両氏ともに、創作段階での他者の介入によって創作のプロセ スに変更が生じたことで、自身の創作について改めて考える意義深い試みとなったことが具体的な挿話とともに示された。
今回の委嘱作品は、早い段階から作曲家と演奏家の打ち合わせ——実現可能な音の選択、特殊奏法の確認など——が行われたことが明かされた。このこと自体は程度の差はあれ、新作初演の場では特別珍しいことではない。しかし、その過程の全てを可能な限り記録するということに関しては「演奏者は、演奏の場で素晴らしいものを出せればそれで良いという感覚」があり「なんでも演奏できると言いたい」からこそ、音程の変更が行われたことが残ってしまう怖さがあるとの発言があった。作曲者の側からすれば、それは「一発で出来なかったこと」であり、実現不可能なことを書いた「罪」のようなことだから、「どういう風に見られるのか」という意味で記録が残ることは怖いことだという意見があがった。一方、当初想定していた作品とは全く違う方向に転換していったことに関して、ドキュメン トとして残る面白さがあり、創作の過程を意識して記録に残すことで、いつもと違う作品の質につながることを発見し、創作を考える視点が増えたという報告もあった。自分が当たり前と思ってやっていること、ありふれていると思っていることを言語化して残すことによって、他者との比較が可能となり、他者を見る視点、そしてそれを介して自分を見る視点が変わることにもつながったという。
作品が創作されるプロセスを重要視する音楽学者が協働したことで、作曲者や演奏者には、普段開示することのないプロセスを記録することを強いる結果となったものの、立場の違うものが話し合いながらモノを作っていく/実践的に創作行為というものに触れていくことで、これまで一般的には演奏会の手前にあるもの、聴衆には提示されてこなかった部分が「旨味」として浮かび上がることがあるのではないか…といった目論見は、今回の演奏の場で十全に果たされたといえよう。
討議では、ドキュメンテーションするにあたり、何をどこまで残すかという議論も行われた。原氏の発表では、メールでのやり取りや、Zoomの録画などオンライン上でのやり取りは遡って追跡可能な 痕跡として残りやすいとの言及があったが、討議の中では、LINEアプリやMessengerアプリのリアク ション機能は記録しきれない…といった声が聞かれた。「スタイル&アイデア:作曲考」の第一理念で ある「同時代の作曲家たちの創造行為に触れる」というアクチュアルな局面では、作曲者の不在を考える必要が無いため言及されることがなかったが、電子メール、会話アプリケーション…と電子化されることで、紙やその他媒体として実在するかたちを持たないことばのやり取りは、使用媒体の保存や、プライバシー保護の観点からも閲覧不可能になるであろうことは容易に想像される。将来的には、従来的な書簡や草稿を研究することが不可能になっていくことも浮き彫りとなった。
今回の演奏会とシンポジウムを通して、創出者と演奏者/マネジメント、そして受容する聴衆や研究者といった全ての段階に関わる協働プロジェクトとしての包括的な視点が行き渡り、創出・中立・受容 のすべての段階に対する示唆に富んだ試みとして機能していた。ただ一つ、非常に多くのトピックを内包していながら、この日のシンポジウムでは、創作のプロセスを追い、一つの作品が完成される時間に立ち会った来場者との質疑の機会が、時間の都合から省かれてしまったことは「スタイル&アイデア:作曲考」の活動方針からいっても残念だったように思う。会場では、登壇者のさまざまなエピソードの紹介に対して絶えず朗らかな笑いがあり、作品そのものや、発表・討議で発せられた問題意識に対して、発言を望む聞き手が多く見受けられたため、受容の側からの発言があれば、さらに一段踏み込んだ議論も期待できたのではないかと感じた。
「同時代に生きる作曲家のスタイルとアイデアに触れることのできる場を創出する」というスタートから出発した試みは、演奏と討議を通して「現代の音楽」との各々の向き合い方を問いかけ、その先を占おうとする、より大きな視点が開かれていたように感じられた。今後も、創出・中立・受容すべてを統括的に捉え、提示する活動が継続的に行われることが期待される。